音大を卒業する前後の頃、家族と離れ一人暮らしをしていたので経済的には大変でした。
私の両親、特に母は教育に関しては男女平等ですが、経済支援は家を継ぐものにしかしない・・・という考えで、在学中から授業料は出してくれましたが、仕送りは後継ぎの弟だけでした。
とはいえ決して安くはない授業料を出してくれてそれだけでも感謝ですネ。
貧乏学生といえば家庭教師、またはアルバイトですが・・・困ったことに音大生はアルバイトをする時間はないのです。
日中はとにかく練習。当時は1日8時間ほどはピアノに向かう日々でした。
合間にピアノを教えますが、ピアノのレッスンは原則マンツーマンで、大したお金になりません。
おまけに住居はピアノが弾けないと困る、しかも夜は禁止・・・等々
その頃先輩の紹介で、ホテルやレストランで演奏する仕事を頂きました。実際仕事を希望した方は多かったのですが・・・
「正当なクラシックが弾ける人に限る」という条件で、人数が絞られました。
音楽事務所の社長さんは、若い人が生活の為の仕事に追われない様、質の良い仕事で援助する・・・という方針でした。
良い仕事に何年も恵まれ、優秀なヴァイオリンの方、ピアノの方とも出会うことができました。
音楽が本当にお好きで、チャイコフスキー、ラヴェル、リスト・・・様々なお話をして下さいました。
演奏にはとても厳しく、容赦ない批判もありました。
やがてその方も仕事を退かれ、私達もそれぞれの道を歩む様になりました。
でも年に1、2回、皆で飲みに行ったり、時々ぷらっと電話があって、集まってお話を伺ったり・・・
仲間と細く長いお付き合いを続けておりました。
ある日仲間と「又飲み会しようか・・・」という話になりました。
が、ご自宅も携帯も連絡が取れなくなってしまい、社長さん抜きのさみしい集まりになりました。
皆の所に一人ずつ電話があったのは、一ヶ月半を過ぎたころでした。
黄疸が出たので検査をしたら手遅れで、手術ができず一時帰宅をしているとの事でした。
「余命あまりなく悪化したら再入院するので、もうお会いできないが頑張って下さい・・・」
お見舞いに行かせてほしいとお願いしましたが、弱った姿は誰にも見せない・・・と教えてくれませんでした。
数ケ月が過ぎ、友人がおそるおそる電話をしたら一切解約されていた・・・と教えてくれました。
まだ若かったので突然の「死」という形でのお別れに、正直戸惑ってしまいました。
それからもうすぐ8年になります。
私達は時々会いますが、皆がお互いが出会えて何とか続けていられるのも、その方のお陰です。
卒業して生活の為の仕事に追われ、やがてはそちらが軌道にのり音楽から離れる人も多いのです。
大きな支援をして頂いた恩人でした。ありがとうございました。