北条時政ゆかりの寺【伊豆国・願成就院】 | ひとり灯(ともしび)のもとに文をひろげて

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こんにちは。

今回は北条時政(ほうじょう-ときまさ)ゆかりの寺である願成就院(がん-じょうじゅ-いん)のご紹介ですルンルン

 

 

では、さっそくニコニコ

 

 

願成就院門前です。

やはり伊豆国屈指の名刹だけあって、しっかりした佇まいをしていますね。

 

この願成就院は、縁起によれば、北条時政が文治5年(1189年)の奥州征伐に際して、戦勝を祈願するために建立したお寺で、その後鎌倉政権第2代執権(しっけん)北条義時(ほうじょう-よしとき、時政の子、第3代執権・北条泰時(ほうじょう-やすとき、義時の子の3代にわたって、次第に伽藍(がらん)が整備されていった大寺院だったそうです。

 

 

門をくぐって境内へ入ってみました。なんとも荘厳な雰囲気が漂います。特に大きな燈籠2基が目をひきますね。

 

 

この奥の建物は、大御堂(おお-みどう)と言って、願成就院の寺宝が展示されています。私は時間の関係で拝観しませんでしたが、中にはあの鎌倉時代初期の有名な仏師・運慶(うんけい)が手がけ、平成25年(2013年)には国宝に指定された仏像が安置されているようです。

 

あと、こちらのイラストのモデルになった北条時政肖像などもあるようです。

 

 

願成就院のホームページに寺宝の数々が掲載されていますので、リンク張っておきますね流れ星

天主君山 願成就院

良かったら見てみてくださいな。

 

 

さて、この願成就院は北条時政ゆかりの寺ということで、時政さんの墓もこのお寺にあります。

 

 

こちらです。静かに手を合わさせていただきました。

時政は、元久2年(1205年)の牧氏事件で失脚し、伊豆で余生を過ごすことになりますが、最期はどのような心境だったのでしょうか…。

 

 

この願成就院には、もうひと方、名前の知られた人物の御墓があります。

 

 

足利茶々丸さんです。

以前、堀越御所跡をご紹介した際に、軽くお話しさせてもらいましたので今回は省きますが、この願成就院に眠っています。

 

でも、最近では足利茶々丸は北条早雲(伊勢盛時)に襲撃されて、命からがら伊豆を脱出し、甲斐の武田氏や武蔵の上杉氏を頼ったなんて話もあるようですから、ここに確かに眠っているのかは定かではありません。

 

 

 

と、いうことで、これで願成就院の紹介は終わりなんですが、付け足しでもうひと方の廟所(びょうしょ)も紹介しておきます。

 

それは甲斐源氏にして安芸武田氏(あき-たけだ-し)初代当主・武田信光(たけだ-のぶみつ)の廟所です。

 

 

この廟所は、願成就院にほど近い信光寺(しんこう-じ)というお寺の境内にあります。

 

当初、私はこのお寺はノーマークで、立ち寄るつもりはなかったんですが、なんか妙に気になり、入口にあるお寺の説明を読んでみると・・・。

なんと!あの武田信光の廟所があるというではありませんかびっくり

 

 

なんでこんなところに信光さんの廟所があるのかな?と思いましたが、案内板によると、この信光寺は、武田信光が修善寺(しゅぜん-じ)で療養していた源頼家(みなもと-の-よりいえ、鎌倉政権第2代将軍の病状伺いに赴いて鎌倉へ帰る途中、この場所で頼家が暗殺されたことを知り、それを嘆き悲しんで、頼家の菩提を弔うために出家して伊豆入道光蓮(いず-にゅうどう-こうれん)と名乗り、庵を結んだのが最初なんだそうです。

 

つまり、この信光寺は信光ととても関係のあるお寺だったんですねひらめき電球

 

 

 

では、今回はここまでにしたいと思います。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

 

あ、それと!!

 

今回を含め、伊豆の国市守山周辺の史跡散策ルート案内を別記事に記しましたので、良かったらそちらも参考にしてください爆  笑

それでは~ニコニコバイバイ

 

史跡散策ルート案内【伊豆国・守山周辺】

 

 

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