こちらも久しぶりの更新、治承・寿永の乱第25弾です
前回までのお話しはこちらの一覧からどうぞ
別動で山木兼隆(やまき-かねたか)の後見役・堤信遠(つつみ-のぶとお)を討ち取った佐々木定綱(さだつな)・経高(つねたか)・高綱(たかつな)の兄弟が山木館へ来てみると、頼朝勢は思いのほかの苦戦をしいられていました。
当初三嶋大社の祭礼に出かけた者たちが結構いるため、警備は手薄と思われていた山木館でしたが、留守の者たちが今を限りと奮戦、頼朝勢を懸命に防いでいたのです。
一方、頼朝は北条館にて山木館に火の手が上がるのを待っていましたが、なかなか火の手が上がらないことに少し焦りを感じていました。
北条館の厩番(うまやばん:馬の世話をする下人)であった江太新平次(えだ-しんへいじ)を庭木に登らせて、山木館の方の様子を見させていましたが、いつまで経っても一向に変化がないようです。
そこで頼朝はついに自身の身辺警護のために北条館に残していた加藤景廉(かとう-かげかど)・佐々木盛綱(ささき-もりつな)・堀親家(ほり-ちかいえ)の3名に山木館の攻撃部隊応援に向かわせることにしました。
これで頼朝の側を固める武士は誰もいなくなります。
しかし、頼朝にとってかなり大事な初戦をしくじるわけにはいきません。たとえ自分の守りが手薄になろうと背に腹は代えられなかったのです。
加藤景廉・佐々木盛綱・堀親家の3人は頼朝から指令を受けて、すぐさま北条館を飛び出し、山木館へ向かおうとしました。
するとその時、頼朝はなにか思いついたかのように景廉を呼び返し、自ら長刀を取り出すと、
「これで兼隆の首を貫いてくるのだ」
と与えました。
3人はなんとしても襲撃を成功させてこいという頼朝の並々ならぬ決意をひしと感じると、山木館へ一目散に駆けだしました。しかし、騎馬はすべて出払っていたため徒歩での出陣です。
それでも彼らは一刻も早く山木館へ駆けつけようと、山木への近道である蛭嶋(ひるがしま)通りをひたすら走っていったのです。
やがて3人が山木館へ駆けつけてみると。
館までの道々には北条の郎等や家子(いえのこ)ら手勢が多く手傷を負い、数少ない馬も館から執拗に矢を射かけられたからか弱り果ててただただ立ち尽くしているといった有り様で、戦況はかなりまずいことになっていました。
北条時政(ほうじょう-ときまさ)は言います。
「敵が思った以上に手強い。すでに五、六度仕掛けているが、攻め崩せずに見事防がれてしまっている。佐々木の者たちは信遠を討ったのちにこちらへ駆けつけてきて、今は搦手(からめて:裏手)に回ってこの状況を打開しようとしてくれている」
景廉は言います。
「北条殿。頑丈で手強い者に楯をつかせてください。この私が今一度攻撃してみます」
時政は雑色(ぞうしき:貴人の身の回りの世話をする身分の低い人)の男で、源藤次(げんとうじ)という者に楯をつかせました。
景廉はその楯の影に隠れ、頃合いをみて進み出ると、すかさず人からかなぐり取った弓矢で表に出ていた山木の者三人を射殺しました。そして弓を投げ捨てると、今度は長刀を短く持ち、兜の錣(しころ)を傾けて、スッと館の門の内へと入っていきました。
館の内の侍所(警護の者たちの詰め所)では、浄衣(じょうえ:よく神主さんが着ている白い衣装)を着た男が、鞘を外した大きな長刀を持って待機しています。
そして景廉の姿を見るや、立ち向かってきました。
一方の景廉もその男に向かって走り出しました。
そしてすり抜けざまにその男の左脇を小さい長刀で刺すとそのまま投げ飛ばしました。
さらに景廉は内へ入っていきます。すると、唐紙障子の貼ってある部屋があります。
景廉はその障子を少し開けて、身を少し引きながら中の様子を覗いてみました。
なにやら人の気配がします。
景廉はきっと敵が中にいるに違いないと、持っていた小長刀で障子をパーンと勢いよく開けました。すると、そこにいたのは山木兼隆その人だったのです。
兼隆は部屋に一歩でも入るものなら、たちどころに斬るぞといった風で、片膝をつき、太刀を額に当てて構えています。
景廉はそんな兼隆を見ても動じることなく、錣(しころ)を傾けて部屋の中に入ろうとします。
その時ですムズっと兼隆が勢いよく太刀を振りかぶって景廉に斬りかかってきたのは
ところが兼隆の太刀が振り下ろされることはありませんでした。兼隆は太刀を部屋の中で大きく振り上げてしまったために、振り下ろす時に刃が鴨居にあたって食い込んでしまったのです・・・
兼隆は必死に太刀を鴨居から引き抜こうとしますが、そんな隙を景廉が見逃すはずはありません。
すぐさま兼隆の胸を刺し貫き、投げ飛ばして首をかきました。(>_<)
山木兼隆のなんとも武運拙き最期でした・・・。
法華経を 一字も読まぬ 加藤次が 八巻の果てを 今見つるかな
〔妙法蓮華経を全く読まない景廉が、八巻の終わり〔山木の最期〕を今見たことよ〕
(※『妙法蓮華経(法華経)』は8巻あって、その8巻を「やまき」(山木)と掛けています。)
「兼隆をばこの加藤景廉が討ちたるぞや!!」
高らかにこう叫ぶと、館に火を放ちました。
山木館に火の手があがった様子は北条館にいる頼朝にもわかりました。
「しめた!きっと景廉がついに兼隆を討ったに違いない!門出良しじゃ」
そう思っていると、時政が遣わした使者が到着し、
「加藤景廉、山木兼隆を討ち取りました!!」
「そうであろう!」
頼朝は満足げでした。
その後、山木館襲撃に向かった武士たちが北条館に帰還し庭に居並びました。
そして、頼朝は縁側から山木兼隆の首を実検されましたとさ。
ってことで、ついに頼朝は挙兵を果たし、初戦に勝利しました。
ですが、頼朝の人生一番の大勝負は始まったばかりです。
前途には大庭景親(おおば-かげちか)や伊東祐親(いとう-すけちか)といった兼隆とは比べるまでもない大きな勢力を持った敵が立ちはだかっていたのです。
では、今回はここまでです。
最後まで読んでくださってありがとうございました
《今回参考にした文献》
『吾妻鏡』治承四年八月十七日条
『延慶本平家物語』第二末 屋牧判官兼隆ヲ夜討ニスル事 (山木判官兼隆を夜討にする事)
『長門本平家物語』巻第十 伊豆国目代兼隆被〔レ〕討事 (伊豆国目代兼隆討たれる事)
韮山町史編纂委員会編 『韮山町史』第十巻 韮山町史刊行委員会 1995年