昨日のリスクマネー、「これからの日本を牽引する先端企業を生み出すインベストメントセクター」のお話でこの体裁のブログは終わりにするつもりだったのだが、少し書き足りないのでエピローグを書く。

「産業政策の明日」というシリーズは、書き続ければいくらでも書くことがある。だから、本編としてはその中核ともいうべきリスクマネーを巡る議論でひとまず終わりにしたのだが、もっと本質的な、そもそも論が抜け落ちているような気がするのでそれを少し補足したい。そしてそのことは、このブログそのものの12月リニューアルのスタートラインになるものだし、もう一本新たにブログを書き始める理由にもなる。

私がベンチャーやIPOに関わり始めてほぼ十二支が一周したけれど、この間、日本の企業社会も、そして市民社会も、ある部分では大きく変容し、ある部分では全く変わらなかった。というより、良くなった部分もあるが、劣化した部分も多かったと言うべきだろうか。

その間に、社会的に顕著になったのは「二極化」ではなかったかと思う。

新興株式市場も、あるいはベンチャーキャピタルシステムも、当初目標に掲げた程には成功しなかったし、定着・浸透してもいない。ビジネスベースで言えば、どちらも細々と継続中というに過ぎない。これは「行政でさえ競争原理だけで解決する」と強弁する、どこぞの首長が代表格の新自由主義者が主張してやまない「競争原理万能」が、ビジネスの世界おいてさえ機能しないことの動かざる証明である。

確かに、そうしたある種の規制緩和を起点として、何社かの素晴らしいベンチャー企業ができ、ベンチマークされるべき起業家が登場してきたことには一定の意味はあった。兎にも角にも、閉塞感に「風穴は開けた」だろう。だが、同時に多くのベンチャーの反社会的行為が顕在化し、ベンチャー企業というもの全体への致命的な胡散臭さを生み出してしまったのもまた、事実である。ビジネス史的には、そちらの回復不能なダメージの方が大きかったと思う(ここの議論は“東京IT村”のバカ騒ぎとは一線を画した世間一般を対象にしている)。

そうした時代背景も影響を与えているのか、面白い事に今の20代の人と接してみると、既述の「二極化」を肌でビンビン感じ取ることができる。“Just do it !”を合言葉に、やりたいことをやり、成功者への道を駆けのぼろうとする若者がいる一方で、「沈む日本」が生まれてこのかたデフォルトの若い世代の中からは、NPO活動をはじめとする「共生」のためのアクションが多々生まれている。

これに関してはどちらが優れていて、どちらが劣っているというような問題ではない。それこそ車の両輪のようなもので、私達やそれより少し下の30代後半から今の60代に至るまで世代にこのような顕著な傾向を見ることは難しいというだけのことである。

だからこそ、そういう「新しい芽」を育むことが重要だと思うのである。

ビジネスベースで成功者への道を駆けのぼりたいという人達には、シードアクセラレータでもインキュベータでも、見込みがあればビジネスベースで寄り添ってくれる機関がある。はっきり言うがそれに相手にされないようなら、元々ベンチャー起業家など目指さなけれよいだけのことである(このあたりを勘違い、あるいは錯覚し、誰でも「ベンチャー起業家になれる」というような甘い言葉に騙され、惑わされる学生を更生させることだけが、大学教員や大人の役割になる)。

しかしNPOをはじめ、もう少し幅広く、営利企業であっても、①社会的課題の解決をミッションの中に持ち、②広範なステークホルダーの共感・賛同を得ながら、③場合によっては自社利益の最大化よりもミッションの達成を優先する、そうした企業を「社会的企業」と位置付けるならば、そこにビジネスベースで寄り添う機関や人は多くない。「美味しくない」わけだから。

だからこそ、できる範囲で、可能なサポートを、こうした「新しい芽」を育むために実践していくことは、我々先行世代の役割なのである。とりわけ、40代、50代の人間には経験・見識から言っても、「市民」として多くの役割が課せられていると思う。余談になるが、2、3年前、民間ビジネススクールのトップである起業家が、「我々ベンチャー起業家も社会的に意義ある事業をやっているのにどうして社会起業家とベンチャー起業家といような線引きをするのか」と怒りのブログを書いていたことがあるが、ハーバードのMBAまで修了しながら、上記③の有る無しに考えが至らない様な人がトップのポジションにあるビジネススクールで学ぶことに、一体何か意味があるのだろうかと思った記憶がある(ちなみにこの人物は、大震災を経たこの期に及んで「原発推進」を日々情報発信している)。

さて話を元に戻そう。社会的企業に「できる範囲で、可能なサポートを」と言われてもピンと来ないという人も多いだろう。私は一番簡単なことは、「プロボノ(Pro bono)」ではないかと思っている。

「プロボノ(Pro bono)」とは、職業上持っている知識やスキルを活かして社会貢献するボランティア活動全般を指し、特定ケースの弁護士による無料法律相談やソフトウェアベンダーがアカデミックプライスを設定したり、NPO向け無料(低価格)プログラムを導入したりといった事が、代表例とされる。

みんな仕事をし、忙しく時間に追われているのだから、構えて何か特別な事をしようと思っても難しい。ビジネスが成立しなければ、プロボノどころでなくなるのも当然のことだ。だから負荷が少なく、受益者にメリットのあることから少しずつ始める。そうしたことが、基盤の脆弱な社会的企業をサスティナブルなものにしていくと思う。

我が身に引きつけて考えるなら、現状社会保険労務士の有資格者であるから、「開業登録」して事務所を開き民間企業向けのビジネスをするか、「勤務その他登録」をして企業内社労士として勤務しながら、余暇で関心のあるNPOの社会保険、労働保険の手続きをボランティアで引き受けたり、NPOの人事労務管理のアドバイスをしていくというようなことが考えられるだろう。

私は元々経理マンであり、ベンチャーに転じてから人事をやるようになった。だから生粋の人事マンに見えないものも見える。生粋の人事マンは、経営と一線を画し、個人の生き方とも距離を置いた、どこか浮世離れした仕事の仕方をすることが多々あるが、これもまた、この20年間日本の企業と個人を蝕んできた一端だと思っている。そしてやり様によっては「ヒト」がチームとして紡ぎだす力が最高の経営力を生み出すと、私以上に信じている人事プロフェッショナルもいないとも思う。だから「人事」という側面から、広義の「社会的企業」の輩出に力を尽くしていくことはライフワークなのだ。

自分はどこから動くか。大言壮語しても仕方ないから、まずブログでの情報発信だけでも、今後「社会的企業」と「人事」にフォーカスしたものにしていく。

「沈む日本を支える若者のアニキ」として歩み始めるために。