さて、後編は「これからの日本を牽引する先端企業を生み出すインベストメントセクター」のお話。

今、世の中ではシードアクセラレータやインキュベータといったスタートアップ企業に投資を行うインベストメントセクターがもてはやされている。これはもちろん、スマホのアプリ、ソーシャルメディアをプラットフォームとしたサービスといった、比較的垣根の低い、スタートアップでも直ぐにコンテンツやシステムをローンチでき、テストマーケして効果測定可能な分野が確立されたことで起きた現象だ。

私も東京のIT業界の人達と頻繁に接しなくなって9年近くになるので、この間の環境変化を思うと隔世の感がある。しかし、こうしたところを日本の今後のベンチャー育成の起点だと騒ぎ立て、「時代は変わった」などとするのは少しオーバーではないかと思う。

確かに若きベンチャー気質の人々が、コンビニエンスに可能性を試すことのできる環境は悪いものではない。だが、もちろんこれらコンテンツやサービスの内、多少の換金性を帯びるモノが百に一つか二つ。ビジネスとしてモノになるのは、おそらく「千三つ」以下であろうと思う。

日本においてはシードアクセラレータやインキュベータから、次のステージのVCや事業会社の投資セクターへのバトンタッチがまだ十分でないし、それよりなにより、プログラミングやコンテンツ作成に長けてはいても、学生かそれに毛の生えた程度の事業経験やビジネス知識しかもたない人間が、IPOなり、M&AなりのEXITにこぎつける可能性は、人的サポートなど余程のラッキーが積み重ならない限り、ゼロに近い。今のシードアクセラレータやインキュベータがそこまできめ細かなハンズオンができているとはとても思えない。

要するに、ベンチャーの多産多死の構図の裾野が広がっただけのことであり、本質はひと昔前と何も変わっていないのである。既存の企業に入ることの魅力がどんどん薄れている状況下で、優秀な若者の一時的な捌け口となって、結果的にそれら優れた才能から適時の社会的トレーニングの機会を奪い、スポイルを助長しているだけとも言えなくはない。

私はこんな構図の中に、
これからの日本を牽引する先端企業を生み出す起点があるなどとは全く思わない。明日の先端産業を生み出す起点、そしてそれを支えるインベストメントセクターはもっと別にあると思う。

まずもって、スマホのアプリやソーシャルメディア向けのサービスなんて、所詮は“東京IT村”の閉じられた世界のバカ騒ぎ、コップの中の嵐でしかない。その寿命の短さ、中身の薄さ、イノベーションレベルの低さ…。そんなものはベンチャーの本流ではない。

同じICTでも、非効率なビジネスや不自由な個人のニーズを、生産性を高めたり、効率化するインフラやソリューションを提供するというのが、真にイノベーションにあふれた先端性あるベンチャーではないのか。そして現代日本の置かれた文脈を考えるなら、ICTよりさらに長いスパンで有望な分野が他に沢山ある。例えばスマートハウスやエネルギー関連、そしてライフサイエンス。これらの分野では、日本の巨大企業の研究所や大学の研究室にはまだまだ宝の山が眠っている。しかし旧態依然とした組織では、それらのシードが日の目をみることなく消えゆく可能性も大きい。

それを事業化するために、必要なエンジニアを集め、技術経営に長けたマネージャーをスカウトし、ファイナンスをアレンジしていくリードインベスターは、おそらく純投資を行うVCやファンドではなく、自らも要素技術を持ち、その発露を望む事業会社の投資セクターであろうと私は思う。

自らの持つ要素技術と直ぐに結びつきそうな、「ありもののベンチャー」を探し求め、帯に短し襷に長しで、今一つ成果が出せないのが、日本の事業会社の投資セクターの特徴であったが、それはそろそろターニングポイントを迎えているのではないか。

純投資のVCなどと同じ目線でなく、手数を惜しまず、「
日本を牽引する先端企業を生み出すインベストメントセクター」の本丸として、事業会社の投資セクターが、戦略スキーム、組織スキームから着手し、リソースをかき集め、仕掛け型のインベストメントに動き出す時、きっと日本の産業界の景色は少し変わるはずだ。

研究開発や技術系の事例ではないが、ネット生保の先駆けであるライフネット生命の誕生ストーリーは、私の知る限り、そうした投資活動に示唆を与えるものだったと思う。日本でもできるのだ、やるべき人がやるべきことをやれば。