「本当は愛されていた ~1~」→☆
の続きです。
先日、母からのメールに
「あなたもよく頑張ってきたね。
苦しい時間も長かったね。
でもお陰で、あなたのありのままが
素晴らしいことに
ようやく気づいてくれて嬉しいわ」
といった内容が書かれていました
読んだ直後は
「また頑張ったね、かよ
もう頑張った、頑張った言うな」と
勝手に怒っていたのですが
よく読んで下さい!
全くそんなこたぁ言ってない!(笑)
ようやく気づきました。
母はずっと私のありのままを
褒めてくれていたのです。
私がその部分を
受け取っていなかっただけでした
そうして思い返すと
「あなたは素晴らしい。
あなたは凄い。」と
よく言われていたなぁ~。
時折もらう母からの手紙には
そんな言葉でいっぱいだったことを
思い出しました
逆に弟はぶっ飛んだところがあり(笑)
母の価値観から外れていたように思います。
その弟を受け入れる為
母はせっせと弟の性質を
半ば無理やりに褒め
何度も何度も口に出すことで
弟自身を受け入れようと
努力していたように思います。
私は母の価値観に近い。
だからありのままを
受け入れてもらいやすく
母からしたら
私のありのままが素晴らしいなんて
当たり前過ぎて
わざわざ言う程のことでも
なかったのかもしれません。
(ちょ~っと
自分に良いように解釈し過ぎか?)
ありのままを受け入れて
ありのままを褒められていたのは
弟よりも私の方だった。
そう気づけた時
母へのしこり
弟への羨望の感情が
スーっと流れていくのが分かりました
この勝手な被害妄想(?)があったが故に
今、子供たちには
「絶対、頑張ったことは褒めない」と
決めています。
(↑ちょっと極論過ぎ笑)
いや、もちろん頑張ったことは
褒めますが、頑張ったことは
誰でも褒めやすいですよね。
だから、頑張らなくても
「今日は行きたくない気持ちなんだね。
それに気づけて、えらいね」とか
「これが嫌だったから泣いてたんだね。
自分の気持ちを表現出来て、えらいね」とか
とにかく、そのままで素晴らしいことを
伝え続けていこうと思っています
そう思わせてもらったのも
私の母のお陰
私が歪に受け取ってしまったのも
何かの必然だったのかもしれません。
愛されたことも
愛されていないと
勝手に思い込んだことも
どちらにも“感謝”