「本当は愛されていた ~1~」→  
の続きです。




先日、母からのメールに
「あなたもよく頑張ってきたね。
 苦しい時間も長かったね。
 でもお陰で、あなたのありのままが
 素晴らしいことに
 ようやく気づいてくれて嬉しいわ」
といった内容が書かれていましたメール


読んだ直後は
「また頑張ったね、かよムキー
 もう頑張った、頑張った言うなムキー」と
勝手に怒っていたのですが


よく読んで下さい!
全くそんなこたぁ言ってない!(笑)



ようやく気づきました。
母はずっと私のありのままを
褒めてくれていたのです。
私がその部分を
受け取っていなかっただけでしたびっくり 


そうして思い返すと
「あなたは素晴らしい。
 あなたは凄い。」と
よく言われていたなぁ~。
時折もらう母からの手紙には
そんな言葉でいっぱいだったことを
思い出しましたピンクハート


逆に弟はぶっ飛んだところがあり(笑)
母の価値観から外れていたように思います。
その弟を受け入れる為
母はせっせと弟の性質を
半ば無理やりに褒め
何度も何度も口に出すことで
弟自身を受け入れようと
努力していたように思います。


私は母の価値観に近い。
だからありのままを
受け入れてもらいやすく
母からしたら
私のありのままが素晴らしいなんて
当たり前過ぎて
わざわざ言う程のことでも
なかったのかもしれません。
(ちょ~っと
 自分に良いように解釈し過ぎか?てへぺろ)


ありのままを受け入れて
ありのままを褒められていたのは
弟よりも私の方だった。


そう気づけた時
母へのしこり
弟への羨望の感情が
スーっと流れていくのが分かりましたキラキラ





この勝手な被害妄想(?)があったが故に
今、子供たちには
「絶対、頑張ったことは褒めない!!」と
決めています。
(↑ちょっと極論過ぎ笑)

いや、もちろん頑張ったことは
褒めますが、頑張ったことは
誰でも褒めやすいですよね。


だから、頑張らなくても
「今日は行きたくない気持ちなんだね。
 それに気づけて、えらいね」とか
「これが嫌だったから泣いてたんだね。
 自分の気持ちを表現出来て、えらいね」とか
とにかく、そのままで素晴らしいことを
伝え続けていこうと思っていますラブラブ


そう思わせてもらったのも
私の母のお陰ニコニコ
私が歪に受け取ってしまったのも
何かの必然だったのかもしれません。

愛されたことも
愛されていないと
勝手に思い込んだことも
どちらにも“感謝”


↓私が赤ちゃんだった頃の写真。
 可愛いおべへ着せてもろうて~。
 大事にされとるじゃないかグラサン