ただ体の動きを止めて

意識の働きがなければ

それはもう満ち満ちてここに現れている。

それはやがて日々の営みの中にも

現れるようになる。

意識や音を使ったのでは

意識や音の無い場所には入れない。

だから人はこの場所の事が分からない。

今回はこの場所が自ら現れてきた。

立っていると「そのもの」が

次第にハッキリと現れてくる。

教えれば教える程迷路の中に入る。

想いと言葉と行いの

恐ろしさを知っている人はいない。

「一緒に立つ時間の共有」だけで。