ヤスnote -3ページ目

余裕

朝早く出かける時に起きる時間は、準備なんかにどれくらいかかるかによって人それぞれ違うでしょうが、私の基本は家を出る1時間前。しかしこれはあくまでも目標であり、アラームが鳴っても「あと5分」「あと2分」と、眠気と布団の誘惑にいともたやすく敗北を続け、結局起き上がるのはギリギリ間に合いそうな時間になってしまう…というのは思い当たる節のある人も多いことでしょう。そんな時には寝起きとは思えないスピードで身支度を整え、持って行くべき物も素早く揃えて、なんとか時間には間に合う事が出来るのだが、「次こそは早い時間に起きて、余裕をもって出かけよう」と心に誓いを立てるモノ。

これが午後とか夜からの仕事なんかだと、起きてから出かけるまでには時間も余裕もある。美味しいコーヒーでも淹れて、タバコでも吸ってとなり、更に心に余裕があるもんだから、いつもつまらない特集ばっかでこんなの観るくらいなら放送大学の授業の方がマシだろっていうTV番組さえも面白く感じる。「なんだよ、なかなか面白いじゃん」なんて思っていると、気付けば結局ギリギリの時間。大慌ての出発となってしまう。


つまり何が言いたいのかと言えば、余裕を持って出掛けられる人とそうで無い人というのは、すでに決まっている運命なんじゃないかという事。
このブログ、毎日から週イチ、そして今や月イチの更新となってしまっているが、それですら滑り込みの更新となってしまったのは、きっとすでに決まっている、私の運命なのだろう。

新年

あけましておめでとうございます!

大変遅ればせながらではありますが、まずは新年の挨拶から。

とは言えさすがに時期を逸した感のある「あけましておめでとうございます」。とりたてて忙しい年末年始を過ごしてきたわけではなく、むしろ忙しさが例年の9割減という福袋も真っ青なヒマのバーゲンセール状態。なのに更新が今日となったのは、まあ今年ものんびりと自然体でこのブログと向き合っていくであろう私のブログ始めとしては、かえって相応しいのかもしれない。


夕陽が沈んでから起きて「おはよう」と言うようなタイミングではあるが、いけしゃあしゃあと何食わぬ顔での「おはよう!」ではなく、気恥ずかしさとある種の背徳感が含まれた「おはよ…」と同義であるこの「あけましておめでとうございます」は、たとえ何度年が変わろうとも変わる事のない生来の大らかさと人の良さ、いや、だらしなさと気の弱さゆえ。

しかし、何時に起きようとも起きて最初の挨拶は「おはよう」であり、年が変わっての最初の挨拶はたとえ半月以上経とうとも「あけましておめでとうございます」なんだと主張する程には、正月やら新年とやらに重きは置いておらず、今年の目標なんてモノは立てた事もない。

もちろん今年も目標なんてと思いきや、今年は一つ立ててみた。

「次こそは新年の挨拶を早くしよう!」

しかしながら、これは来年の目標という事になるのだろうか?

経験

大方のRPGゲームなんかだと、経験値が増えれば増えるほど自分のHP、つまり生命力は増えていく。
しかし人間にとって経験値が増えるという事は年齢を重ねるという事。仮に年齢をレベルとするならば、レベル25くらいを境にして、レベルが上がれば上がるほどそれに反比例してHPは減って行く。

朝まで呑んだ翌日や、ちょっとした距離を走っただけで聞こえて来るカラータイマーの音はまさに諸行無常の響きである。

また、RPGでは経験値が増えれば回復の呪文なんかを覚えて行くものだが、物忘れも増えてきちゃうもんだから
「回復の呪文て、なんて唱えればいいんだっけ?」
てな状態となる。そんなこんなで呪文があっても意味をなさない年齢ともなってくると、回復の為に必要なのは呪文よりむしろ『おだて』である。

「さすが」
「いいね」
という抽象的なおだてから
「弁当食べるの早いね」
「よく寝るね」
という具体的ながらも、もはやおだてかどうかも不明なモノまで何でも大歓迎である。

おだてと儲け話は信じないように生きて来た私ですが、それを真に受けて喜べるようになったのはきっと、経験値が増えたからなのでしょう。