フィラデルフィア通信⑲対テロ戦争ネイティブ世代の世界観 | 019|まる・いち・きゅう

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丸い地球をまわりながら考えていることの記録

 アメリカ同時多発テロ(9・11)が発生した2001年に生まれた子どもが今年16歳を迎える事実をみなさんはどう受け止めるだろうか。かくいう私も当時12歳で、何かそれについてその時に考えたことを語れるわけではない。それでもあの日テレビで流れていた映像を覚えているし、その後2003年にアメリカがイラク戦争を始めた際には「いまどき戦争なんて始まらないよね?」と叔父に迫ったのを覚えている。叔父は「始まるし長引くと思う」と私に言った。あの頃がひとつの転換点だったという実感がある。

 

 ペンシルベニア大学での院生としての日々において学部生の世界情勢や安全保障に対する考えに触れる機会も多い。その度にある種の衝撃を受ける。たとえば、先日、北朝鮮の核実験やミサイル発射についての討論会を傍聴した。軍事力に頼らずに対話路線を追求するべきだと主張する学生でさえも、その主な根拠としてあげていたのは「アメリカの軍備は核兵器も含めて世界一で匹敵する国はないのだから軍事力行使の必要性がない」というものだった。保守派の学生は「北朝鮮はテロ国家だ」と言い切り「国際社会におけるルールを守れないのであれば軍事行使以外に道はない」と述べた。私は今学期、昨年同様に「科学技術と戦争」という授業をティーチングアシスタントとして教えている。軍事行動による一般市民の巻き添え被害(コラテラルダメージ)について、そしてそのような被害がなかなか公にならないことについて議論をした。「残念だけれどもしかたない」「正直まったくなんとも思わない」「必要悪だと捉えなければアメリカは戦争を勝ち続けられない」などといった意見が続出し、動揺した。

 

北朝鮮の核開発をめぐるディベートは白熱し、聴衆の中からも発言や質問が多く出た。

 

 現役大学生の多くにとって9・11は就学前の出来事であり、イラク戦争は物心がつくかつかないかのころに始まったことになる。デジタルネイティブ世代という表現があるが、彼らは対テロ戦争ネイティブ世代でもあるのだ。私と同じ30歳前後の若者は、2001年を境に空港での警備が異様に強化され、愛国心が煽られ、「正義のための戦争」というメッセージが「つくられていった」ことを覚えている。さらに上の世代になると、ベトナム戦争時の反戦運動の記憶が刻み込まれている。しかし今の大学生にとっては対テロ戦争をするアメリカは「常態」で、「21世紀版・世界の警察アメリカ」は国際秩序にとってなくてはならないもののようだ。

 

 アメリカの中から見える世界とは全く違う現実を生きている人たちが世界各地にはいる。対テロ戦争ネイティブ世代の想像力を養うことが当面の私の課題となりそうだ。

 

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