季節が見える―言葉を超えた言葉 | 019|まる・いち・きゅう

019|まる・いち・きゅう

丸い地球をまわりながら考えていることの記録

最近季節が「見える」。
真っ赤に色づいていた木の葉が日に日に落ちていき、朝明るくなる時間がどんどん遅くなり、明るくなってくると結露の目立つ窓。夜はお昼寝をしていたら(最近よくしてしまうのです!笑)あっという間に暗くなってしまっている。

 毎日が宝探し

いよいよ本格的に冬がやってきたと感じる。澄んだ空気に身が引き締まる。
と同時にイギリスでも日本と同じ四季が感じられることにきっとどこかほっとしている。
そういえばピースボートで船旅をしていた時を思い出すと、自然があんなに近かったことはなかったと思うけれど、四季があんなに遠く感じられたこともなかったかもしれない。週単位で季節が変わってなんだか時間軸がおかしくなったようだった。

ふと、小学校1年生の時の国語の授業に「まる禁作文」(そう呼んでいたかは定かではないけれど)というのがあったのを思い出す。

たとえばこれ。
「題=冬、まる禁ワード=寒い」

つまりは「冬という題で『寒い』という言葉を使わずに作文を書きなさい」ということ。よくできた課題だ。

 毎日が宝探し

日本にではこういった一歩踏み込んだ表現はよくある。
そして、よしとされることが多い。
和歌でもそう。
いかに伝えたいメッセージを変化球で伝えるか。
日本人ははっきりしないという批判をする人がいるけれどそういう表現ができる日本人もすごいと思う。
なぜならそれは言葉を超えた言葉だから。

季節の移り変わりを感じながら煮込みうどんをそそる土曜日夕暮れ。
日本食はおいしい(笑)