二・五人称の視点 | 019|まる・いち・きゅう

019|まる・いち・きゅう

丸い地球をまわりながら考えていることの記録

1人称=私
2人称=あなた
3人称=彼、彼女

英語とか国語とかで、
やったような気がする・・・。

「言葉の力、生きる力」(柳田邦男)新潮文庫

という本の中で、

2.5人称という言葉とであった。
2.5人称は初めて聞いた。
ハリーポッターの93/4番線みたいに聞こえる。

でも、この2.5人称というのは、実は現代世界の中で
とっても大事なキーワードなのではないかと思う。

つまり、自分の仕事(専門分野)においても、
その中で接する人のことを、
「彼、彼女=三人称」として考えるだけでなく
「あなた=二人称」と考えることも大事だよということらしい。

本文にはこう書かれている。

「二・五人称の視点」は、仕事の専門性を希薄にしたり、あいまいにしたりするものではない。専門性のレベルを高める努力を当然の前提として、そのなかでごく普通の人間的な対応を忘れないようにしようというのである。

20世紀、私たちが生きる社会で、
のものすごい勢いで専門化が進んだ。
大学にいける人も増え、
社会の中で個人の役割がはっきりしてきた。

今までは家で多少は病気になっても対処していたけれども
医者に行くようになったり。
壊れた電化製品もお父さんが直していたはずなのに
いつのまにか修理やさんに持っていく以外の選択肢がなくなっていたり・・・。

でも、柳田さんの本にも書かれているように、
実はこの専門化というのは現代の高度な専門化社会のブラックホールあるいは落とし穴
とも捉えることができると思う。

あまりにも、専門な知識、視点を備えすぎて、
逆にごくごく「普通」の人の視点に立てなくなってしまう。
その専門分野としての効率とか、完成度とかを求めてしまって、
相手のことをきちんと考えた対応ができなくなってしまう。

たとえば、なんだろ。
医療現場で、子供が病室を飾り付けたいといったとき、
医者からしてみればそんなことはまったく医療の役立たないし、
回復を早めるわけでもない。
でも、母親の視点にたってみたら、子供の願いを叶えてあげたいと感じるだろう。
たとえそれが彼女の病気の回復とまったく関係がなかったとしても。

学問的な知識とか、理論じゃ片付けられない問題がある。
だって人は、知識と理論だけで生きてはいないから。
「ルールだから」「決まりだから」じゃ納得できないことがある。

職業に自信をもって、その道を極めていくのは大切なこと。
その道に慣れすぎて相手が本当は一個人として何を思っているのか、
それを見失うようになってはいけないと思う。

だからこそ、私はこの2.5人称の視点というのがすごく気に入った。
自分も将来どんな職業に就くにしても、
この視点を持ち続けたいと思った。