本日はおうちごはんではなく

ダイエット77日目ですが

(週一体重測定77日で

 マイナス8.9キロ)

ちょっと涼しくなる

実際私が体験したお話。

 

今日も来てくれてありがと~♡

ゆっくりしてってね(^^)

 

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今日は、お料理の話じゃなくて

ごめんなさい。

でも、これも私の一部なの。

ってなこって

『これまでにした霊体験』の一つ

これまでにした霊体験

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「沖縄の兵隊」のお話

これは、私がまだ

美容学校に通っていた

18歳の頃のお話になります。

 

東京の中野にある美容学校に

通っていた私は
美容学校の横に設けられた

女子寮に入り、自分で学費も

生活費も捻出していましたから、

学校が終わってからすぐに夕方まで
阿佐ヶ谷に在った美容室へ

バイトに入り、
7時半で美容室のバイトが終わって

から、中野の狸小路に在った

スナックにバイトに入り、

寮の門限が10時でしたので

10時に一旦寮へ戻り
寮長でしたから、みんなの点呼を

とった後に、非常階段から抜け出し、
そこから、日をまたぐくらいまで、

スナックに戻ってバイトをするという、
結構ハードな生活をしていました。
それでも、

18歳の元気ハツラツですから

日曜休日の度に、

美容学校を休みがちだった

同級の「K」という彼に、

授業のノートを持ち

その週に行った実技を教えるのに

彼の住む三軒茶屋まで

通ったものでした。

 

その彼が沖縄の具志川の出身

だったので、夏休みには、

スカイメイト(現在のスマートU25、

料金半額になる若者向サービス)

を使って、Kの親友と3人で

Kの実家に遊びに行き
若さと夏と沖縄を満喫しました。

 

ただし、 
お察しの通り、バイト生活の毎日。

金銭的に余裕のある旅ではなく、

遊び呆けて、お金は底をつき
沖縄のバーガー屋さんで

バイトして日銭を稼いだり、

多幸山(たこやま)ハブセンターに
キビ畑でハブを獲って

売りに行ったりして、
(その当時で普通のハブは500円、

 卵を持っていると800円で

 引き取ってくれました。)


東京に帰ってくるお金が貯まるまで、

働かないと帰ってこれませんので、
当然夏休みを過ぎても帰ってこれず

夏休みが明けても出席がない

学校からも、実家からも捜索願が

出ていた状態でした(^^:)
若さってなんなんでしょうね、

あれ(^^)怖いもの知らず。


そんな沖縄で、「K」は、

地元の友達にも紹介したいからと、
高校の時の友達も呼び集めて

ビーチパーティをやったり、

肝試しと称して
沖縄のお墓の中を歩き回ったり
(向こうのお墓ってブロックの家

 みたいになってるので、

 普通の墓地の怖さとは
 また違った、圧迫感があって、

 怖いと言うよりも息苦しいと

 言うか建ち並ぶ建物の間を

 歩く感じ)


毎日、探検と言って

丘の上に放置された幽霊ホテルや、

東南植物公園(楽園)や

万座毛ビーチや海洋博の水族館や、

ビーチで行われたのど自慢や

(飛び入りで出て優勝しちゃった♪)、

色んな所に連れて行ってもらいました


ある日、

特に何かそこにあるわけでは

ないですが、

ビーチ横に切り立った岩壁のある
そんな所に連れて行かれ、
「ここは、戦争の時に

 いっぱい人が死んだとこさ」byK と

教えられました。


空は晴れていて、風も良く通った

日でしたが、そこ一帯は
ピタッと空気が止まったような、

すごく息苦しい感じがして
「ここ、やだよ・・・早く離れよ」と、

私は言いました。
一緒に行っていた八王子出身の

「M」は
「へぇ~。怖うぇーでやんの、

 おめぇ、

怖いんだんべ (σ`∀´)σ 」などと
ちゃかしてきましたが、

とにかく私はその場を離れたくて
みんなを置いて、来た道を走って戻り、

乗ってきた車の横でうずくまりました。

なぜか私の顔や胸やお腹が

激しくヒリヒリと痛くなり、

息苦しさも増しています。
「K」も「M」も、

日焼け止めを塗らないで泳ぐからだ

だの、日射病だ、などと笑って、

私の苦しさや痛さを分かって

くれません。

ですが、その日はどうしても

具合が良くならないので、

沖縄の友人たちの誘いを断り
「K」の家の2階の3室並びの

部屋で休ませてもらっていました。

彼である「K」は、3人兄弟で、

一番奥の部屋がお兄さん

(もう家を出て働いていた)
真ん中の部屋が妹「A」ちゃん

一番手前が「K」の部屋で
(Aちゃんはお父さんとお母さんの

 部屋に寝ていました)
Mが「Kの部屋」を使い、

私がAちゃんの部屋を使い、
Kがお兄さんの部屋

使っていました。
Kのベットと私のベットは、

壁を挟んで隣り合わせ

なってたので
「夜中具合悪くなったら、

 壁たたいて起こしたら

 良いやんバーて」byK
と言うので、安心してその日の夜は

眠りにつきました。



夜中ぐっすり眠ってたら、

耳元でパキパキ、

パチパチと音がして
その後に、沖縄の言葉で

とても怒りを持った男の人の太い声
念仏のように延々とぶつぶつと

止まらず続きます。
私は声を出そうとしましたが

声が出ません。
寝ている場所から見える、

パタンパタンと黒い板に書かれた

数字が倒れて時刻が変わる時計は、

2:44分。

これは、厄介なことになったと、

体を動かそうとするも、

うつぶせ寝のまま身動きが取れず。

うつぶせ寝なので、

顔は部屋の中央方向を向いて
左足を折り曲げた状態で

左手はベットから垂れた感じ、
右手は半分体の下になりながら、

「あっ!

 右手の肘から先だけ動くっ!」
右手側の先には壁、

壁の向こうにはKが寝ています。
私はできる限り右肘から先を動かして、

後ろ手に拳骨で壁をたたきます。
ゴンゴン、ゴンゴンゴン。
その間もずっと、耳元と言うか、

寝ている頭の上の方で響く

野太い古い沖縄の言葉の声。
「早く!早く気付いて!早く来て」と、

目を瞑ってありったけの力を込めて
ゴンゴンゴンゴン! 

拳骨が痛くなって、もしかしたら

骨が出るのではないかと思うほど

壁をたたき。

再び目を開けると、

まさに、ホントに目の前に

目だけギョロギョロした

日本兵がかぶる、タレのない

略帽をかぶって、あちこちが

焼け焦げて・・・のそ日焼けした顔も、

ススで真っ黒の男の人。

開襟状態のゴワゴワとした、

汗ジミができた兵隊服の正面は、

ボロボロで、焦げて・・・・。

なにかツーンと鼻に来る嫌な臭いと
焦げ臭い臭いと、爪を燃やした

時のような臭いが鼻をつく。

息苦しい。

うつ伏せの背中から押される

圧迫と嫌な焦げの臭いで

息がまともにできない。
頭の中で、

「なんにもできないから、

 どこかに行って!

 なんにもできないから」と繰り返すも、

耳に聞こえる声はどんどん大きくなり、

私の右手の拳骨も痛みが増し、
 

でも、Kは来ない!
点けて寝ていたはずのエアコンも

切れて、空気の動きは止まり、
また顔と胸がジリジリと焼ける痛さ。

これが、空が明るくなるまで続きました。


明るくなって、

「もうダメだ」と思った時に、
フット体が軽くなったので、

そのまま飛びのけるように

ベットから降りて

Kの寝ている部屋に行き
「なんで来てくれないの!

 あんだけ壁叩いたのに!」 と怒鳴り、
Kは寝ぼけて驚いているばかり。


「壁叩かれたら、すぐに起きるさ、

おまえ、寝ぼけてたんじゃないの?」

言うので
右手の拳骨を見せたら、

真っ赤になって中指の付け根の

グリグリ辺りから血が出ている。
血は、シーツで擦れたように

指の甲に広がって乾いていました。


「ホントだ、何した?」と言うので、

「ちょっと来て」とKを引っ張っていき
私がどうやって寝てたかとか、

手をどう動かしたかとか、

どれくらい長い時間で何があったのか、

一生懸命訴えたのですが、

Kはいきなり笑い出し 
「やっぱり、おまえ、

 夢見てたんだって」と言います。
なんで信じてくれないのと言うと、

 

「だってな、このベット、セミダブルゥ
おまえの身長が2メートル有ったって、

その手が壁に届くわけ無いやんバーて」

そうなんです。

寝ていた私の左手はベットから

垂れていた状態でしたから
どう考えても、壁に届くわけがないんです。
でも、実際、

壁にもシーツにも血が着いていて、

私の右手も消毒して包帯を
巻かなくてはいけないほど

傷ついていました。


その日も観光に出かける予定でしたが、

どうしてもムカムカと胸が気持ちが悪く
顔と胸の皮膚がチリチリと痛み、

体から焦げ臭い臭いが立っています。

こんなんでは出かけられないので
丸一日寝ていましたが、

Kのお母さんが心配してくれて
「東京に戻って、病院に行きなさい。

 今日、学校から電話が

 かかってきてるし、あんた達3人、

 捜索願が出てるから、

 警察にはちゃんと話しておいたから
 飛行機代の足りない分は

 出してあげるから、

 明日帰りなさい。」byKのお母さん
 

そのお言葉に甘え、いえ、

言葉だけではなく全てに甘え、

東京に帰ってきて
Mは実家の八王子に、

Kはアパートの在る三軒茶屋へ、

私は美容学校の寮に戻り
寮母さんと担任に謝りに行き、

病院に行くことにしました。

病院は、

先生が学会の日だとかで

午後が休診で、診てもらえず、

そのまま帰ることに。


病院の帰りに寄るつもりだった、

中野ブロードウェイというアーケードの
4階にあった、行きつけの

ママさん一人でやっていた

「ぺぺ」という小さな喫茶店に、
お土産を持って行きました。

当時の中野ブロードウェイは、

1階はいつも賑やかな

商店アーケードで
2階にも喫茶店などがあり、

3階には有名な『まんだらけ』など

特殊ショップも入っていましたが、

4階はほとんどが空き店舗で、

開いているお店はちらほら。
「ぺぺ」は、そんな閑散とした

中にある喫茶店でした。


ぺぺのママは私よりも20歳年上で、

小柄で細身のキュートな方で

長い髪を耳から前だけ
トップでひっつめにして、

三編みにしてる方でした。
この方がとても霊感の強い方で、

私をよく理解してくれた方でしたので
時間ができると、

しょっちゅう立ち寄る、

私のリラックスできる場所でした。

そのぺぺのママが、こちらに

背を向けて本を読んでいたのですが
私がお店に入っていくと、

振り向きもせずに
「めぐみちゃん(私の名前)

 あんた何連れて来てるの!

 だめっ!お店に入っちゃ!
 自分でも見えてるでしょ? 

 兵隊さん背負ってるよっ!」と言うと
すぐに私を外に出して待たせ、

自分も帰り支度をして、

お店のシャッターを閉め
「いい? 

 今日はこれ持って帰りなさい!

 後で返してくれてばいいから
 今日は絶対にこれを

 身から離さないでおきなさいね!

 いい?分かった?」
そう言って

私にぺぺのママ自身の 

自分の守り石 を持たして返し、
自分も急いで自宅に帰っていきました。

次に日、

私は布団から起きることもできず、

学校もアルバイトも休み、

う~んう~ん言いながら

寝ていましたが、

次の日は、もうスッキリしていました。
 

あの時、帰りがけにぺぺのママ

持たせてくれたのは、ママがいつも
暇さえあれば手に持ってなでている、

中に金色の結晶の入った水晶で
ルチルクォーツというものでしたが、

ママのは、繊維状に入る金色が
中に塊で閉じ込めらるように

入っている、とても珍しいもの

だそうで大事にしてるもの

だったので、私は快復後すぐに

返しに行きました。

しかし、お店は閉まったままで

ママに電話してみるも繋がりません。
毎日バイトの前に行ってみて、

9日後に

やっとぺぺのママ

会うことができました。
 

ぺぺのママは、ただでさえ

細い体が更に細くなり、

顔もやつれて頬に影ができています。
「めぐみちゃん、

 ちょっといらっしゃい。ここに座って! 

 あんた、
 沖縄のどこに行ってきたの?! 

 絶対に行ったらいけない所、

 行ったでしょ?」byぺぺのママ
と、言われたので

沖縄であったことを話しました。


「ついてきたのはね、

 火炎放射器で焼かれた兵隊さん! 

 ものすごく恨みの強いので
 私も寝込んだわよ~。

 こんな強いのは私も初めてだわ。

 めぐみちゃん、よくこんなの乗っけて

 普通に動けてたわね。

 それがびっくりだわ」byぺぺのママ

と、ケラケラ笑うのですが

私には笑えない訳が・・・。 

だって、

ママの隣に兵隊さんが座って
じっとママを見てるんですから。


ママにそれを話すと、

タバコを吸おうとして

唇に張り付いてしまった

フィルターの紙を
指先で剥がしながら
「知ってるよ、だって代わりに

 私に取り憑かせなかったら、

 めぐみちゃんから
 離れないって言うから。

 しょうがないじゃん。

 今は大人しくしてなさいって
 少しずつ弱めてるから、

 そのうちどっかに飛ばすから。

 心配ない。大丈夫。」byぺぺのママ

と、緊張した顔ながら

アッケラカンと言うのです。


それから、ママの体調も芳しく無く

していましたが、

私も美容学校を卒業し
アルバイトに行っていた

阿佐ヶ谷の美容室に勤め始め、

住まいも高円寺と中野の
間くらいにある高架線横の

4畳半一間に移り、
なかなか、中野のぺぺのママ

のお店にも行けなくなりました。


今のように携帯やスマホの有る

時代ではないので、

公衆電話から電話するのも
いつの間にか億劫になったある日。
久しぶりにぺぺのママのお店

行ってみました。 

お店はシャッターがおりたままで


以前にも増して

ブロードウェイの4階は閑散とし

た雰囲気になっていました。

まだ開けていた他のお店の方に、

「ぺぺ」のことを聞いたら
閉めてはいないみたいだけど、

しばらくずっと

お店を開けてないとの事でした。


ぺぺのママの自宅の電話も

いつの間にか

「現在使われておりません・・・」となり
気にはなるものの、

連絡が途絶えたままで、

私も日々の忙しさに3年が過ぎ
ママのことも思い出すことも

少なくなりました。

そんなある日、

また体から、あのスエたような

焼け焦げのような臭いが立ちました。
忘れもしない、あの息苦しさと

ヒリヒリとした顔と胸の痛み
「戻ってきた・・・」と感じました。

ただ、以前のような

精神を圧迫するような憎悪感はなく、

ただ肉体的な辛さだけが

やってきたんです。

私は、最初の引越し先から、

同じ高円寺の中で別の場所に

引っ越していましたので
その近くにあった熱帯魚屋さんに
お魚を見るとやすらぐので

水族館に行く感覚でよく行くようになり
そこで、霊能者の方と

知り合っていました。

 

私の様子を見て

すぐに気付いた霊能者の方が
私をご自宅に呼んでくださって、

奥様と一緒に

『それ』を、剥がしてくれました。


御札を書く無愛想な方も

一緒に居てくださって、

お封じ昇華をしてくださいました。
「あれは、一旦離れて、

 戻ってきたでしょ?」 と、

霊能者の方はおっしゃいました。

私は、この事の仔細を

話していなかったのですが、
霊能者の奥様は、

少しだけ体に霊を降ろすことの

できる方で、話さなくても

仔細が分かった様です。

「居心地がいいってよ、

 だから探して戻ってきたって、

 なかなかね、ああいった

 亡くなり方をした方は、

 同調した人からは離れないもんで、
 でもだいぶ、精神的なものは

 落ち着いてましたから、

 落としやすかったんですけどね」by霊能者
そうおっしゃいました。
それから、この霊能者の方とは

お付き合いが長くなるわけですが

ぺぺのママとは、

あれっきり連絡が取れません。
 
とても厄介だった、

数年に渡っての出来事でした。

 

長い昔の話に

お付き合いくださって

ありがとうございます。

 

あまり意味なく、

お遊びのつもりで

色んなところを

探索されないほうが良いですよ

今日も皆様の

軽やかで清々しい一日で

あられますように♡

 

 

最後まで読んでくれた

あなたに感謝 ♡

 ↓ o o(〃^▽^~♡) ありがと~