耳慣れない言葉だけれど、最近知った言葉で、ヘドニック・トレッドミル現象というのがあるらしい。「どんなに贅沢をしても人間は幸せに慣れる」というものだそうだ。英語らしいのだが、日本語では「快楽のランニングマシーン」ともいわれるらしい。

 

欲しいものを手に入れて、幸福になったとしても、すぐに幸福度は元に戻ってしまう。まるでランニングマシーンの上にいるようで、どんなに走っても、目的地につけないという。

 

うすうす気づいていたことではある。より収入を増やしたり、よりおいしいものを食べたり、より欲しいものを買ったり、より名声を手に入れるとは、どこまで意味のあることなのか??とふと疑問に思う。収入が増えても、数か月もすれば、その額に慣れて、もっと欲しいと思う。おいしさも慣れてしまう。もっととなる。これって、まるで回し車にいるハムスターのようではないか、と感じているのではある。

 

それは自由も同じなのかなぁ。ちょっと自由を手に入れたらもっと、となって際限がなくなるのかなぁ。この現象で、自由に関しての記述はないのだが、どうなんだろう??

 

この現象には、不幸にも慣れて、幸せを感じるのだという。ちょっと混乱する。不幸を減らすこともあまり意味のないことなのではないか、と思えてしまう。

 

じゃあ、「幸せ」というところには、どうやったら近づいていけるか、というと外観などではなく、小さなことにも周囲への感謝の念と表明を忘れずに、ということらしく、うなずける。ああ、自分も感謝なんて忘れてること多いしなぁ、と反省しきりである。