子どもたちの不登校・ひきこもりが心の自由を教えてくれた

子どもたちの不登校・ひきこもりが心の自由を教えてくれた

出来事が苦しみの元ではなく
「苦しみ」は、そのことはよくないことだと信じる信念による
エネルギーの収縮感覚です
出来事そのものには、何の問題もありません

あなたのお子さんは 次のように感じているでしょうか


「自分はこのままでよくて、存在していいんだ」と・・・

もし、そうでない、そう思っていると思えないのであれば

あなたがそのことを感じることから始めてみませんか?

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子どもたちは、ただ安心したいだけなのに

 

大人たちが『問題だ』とすることで

問題を創り上げ

問題解決に躍起になっているように感じられます

 

自己肯定感が低いからだ

コミュニケーション能力が低いからだなど

もっともらしい理由づけをして

 

どうしたら高められるかと議論をしていたり

方法探しに忙しかったりしますが

 

理由がわかって解決策がわかれば安心できるという

安心感の争奪戦のようにも感じます

 

無意識だから仕方がないし

エゴ世界だから仕方ないと言えば仕方のないことですが

ビジネス展開や(すべてではないけれど)安心のために

子どもたちを使おうとしていることに気づくことはなかなかなさそうです

 

そんなことはどうでもよくて

ただ、安心していたいだけ

 

あなたが安心したいように

子どもたちも安心したいだけ

 

ただ、安心したいだけ

そこには、何の問題もありません

 

問題だとされることは

どれほど悲しいことでしょう

 

 

 

大人も子どもも

呼び名をはずせば

一人の人間であり

もっと言うとエネルギー表現です

 

生命活動というところからすると

何の違いもありません

 

幼い頃から親の言うことをしっかり守ってきた方ほど

子どもは親の言うことを聞くはず、聞くべきという

信念傾向が強いかもしれません

 

子どもも大人と同じように

いろいろな考えや感情がわきます

 

苦しい考えや感情から逃れたいというのは

大人も子どもも同じです

 

嫌な気持ちがわいてきたとき

それを紛らわそうとする何かを始めたという経験は

どなたにもあるのではないでしょうか

 

例えば、転んだ時の恥ずかしさを紛らわせるために

笑ってみるとか

悲しい気持ちを紛らわせるために

誰かのせいにして怒ってみたり

 

人間は、そーゆーものです

 

子どもは大人より経験や語彙が少ないために

考えや気持ちを言葉で伝えるのが苦手だったり

わからなかったりします

 

何かに集中することで

その時だけは逃れられることを覚えたら

大人は集中する対象がいろいろあるでしょうけれど

子どもはゲームをするとかテレビを見るとか眠るとか

家の中でできることといったら

かなり狭まれます

 

大人ではお酒を飲むと紛れることから

なかなか抜け出せないという相談を受けたこともあります

 

人間は、誰だって

心地よくなりたいし、安心したいのです

 

そのことに、大人も子どももありません

 

『子ども』と呼ぶことだって

失礼なことのように感じます

 

子どもたちは大人の所有物や

大人を心地よくさせたり安心させたりするための

道具ではありません

 

あなたと同じ、尊い存在です

 

子どもも、同じように悩み、苦しみ

そこから逃れたいと思っています

 

命(生命活動)がベース

というところからのメッセージです

 

私たちは幼い頃から

様々な教えやルールを学びます

 

何かを信じる信念は

重要で正しいことだと感じるようになるようです

 

奇跡で神秘の生命活動が起こっていることを忘れ

教えやルールがあたりまえになり

 

命に条件などありようがないのですが

条件があるように錯覚が起こるようです

 

いつの間にか

条件を満たすことが

生きる目的であるかのようになり

条件が満たされない場合

存在している価値はないと判断してみたり・・・

 

命(生命活動)がベースであり

言葉や条件はすべて後付けです

 

言葉や条件がなくても命は存続します

言葉や条件を満たすための命ではなく

命としての命です

 

ここではあたりまえのことを

あたりまえですよと伝えているだけで

 

教えでも知識でもないし

改善を目的としたエネルギーには

何の役にも立たないかもしれませんが

誰もが、どこかで知っている(感じている)メッセージではないでしょうか

 

それだけに、繊細なエネルギーは

条件付けされること自体に

違和感や悲しさを感じるのかもしれません