わからない、ということは知っていることよりもずっと大きい
京都のお寺の外にいくつか立ててある看板のひとつですが、
わからないから、わかろうとする。
これってこどもとのこと、人とのこと、すべてに共通することだな、と思います。
わかった気になってしまうと、コミュニケーションが成立しない。
子供に対して、「ママはわかっているよ」といってしまうことが、相手にそのときそのとき向き合う
時間を面倒だと思っている自分がいるかもしれません。
この言葉を口に出すときに、本当にこどものことをわかっているか?自問自答しなければと
思いました。
おやこヨガの現場のときは、来てくださる方は私の家族ではないので知ろうとする、わかろうとする
から、信頼関係が生まれてくるのだと思います。
愛情+おやこヨガのメソッドを生かして、わかろうとする、ただ受け止めることを年齢を重ねるほどに
しなければ、と感じました。
それにしても青春をしているオトメの心はつかみにくいです。