時が来たら派閥の代表者を集めて皆で評議会をつくろう | UC摂理打開のために360軒ホームチャーチ吟味は必須事項

UC摂理打開のために360軒ホームチャーチ吟味は必須事項

2031年アセンションに向けて万全の準備ができたぞ

 

 

家庭教会」から抜粋


※ホームチャーチは伝道するためではなくて、摂理的観点から出発したものである。
「我々の今後の活動」1978/9/23

 

※簡単にいって「家庭教会」とはどういう意味であるかというと、自分の教会であるということです。ミスタースミスであれば、「ミスタースミス教会」となります。家庭教会は自分の教会=家庭教会の方針は教会長である私が決めること。それぞれの個性をいかし、それぞれの事情でできる内容を実践し、最終的には360軒(まわりの人々)を自然屈服させること。
「家庭教会天国基地」1980/1/1

 

※ホームチャーチは第一の摂理です。他のどんなものも、二義的なものなのです・・・

「御旨の完成と父母の日」1980/4/15

 

以上

 

 

 

 

マジソン大会、ヤンキー大会、ワシントン大会という三つの大会を終えた事を機に、文鮮明氏が担う「父母の責任分担」の時代圏は終わりを告げた。そして1981年新たに迎えた摂理時代圏が「子女の責任分担」としてのホームチャーチ摂理であった。この流れが基本原則だ。

この1981年という年を原理的に表現するならば、文鮮明氏が「真の父母」として成し遂げた縦的な親の勝利権を、今度は我々「子女」がホームチャーチ活動を通して具体的横的に社会に浸透させ親の勝利権を形にして行かなければならなかった。それを成すための最重要事項が当時の統一協会という教団組織を跡形もなく解体させること。そして全ての祝福家庭が家庭連合の下に自立する事であった。しかしこれが実現せず失敗に終わった。

 

このホームチャーチ摂理失敗によって、1981年以降の統一運動にどんな変化が生じたのかと言うと、名ばかりの「摂理」を装った経済至上の暫定的な摂理に統一運動は豹変せざるを得なくなった。だから1981年以降の摂理とは、支離滅裂なカモフラージュ摂理となった。

そうなって来ると、今の家庭連合を混乱疲弊に追い込んだ金孝律氏という魔的人物の出現は、あくまでも統一食口が1981年に子女の責任分担としてのホームチャーチ摂理を失敗させた事が最大の要因だという事になる。

 

もし1981年に統一協会を解体して全祝福家庭が360軒ホームチャーチ活動に取り組んでいたとしたら、魔的人物金孝律の出現はなかったし、そればかりか統一運動はかなり精神的で次元の高いものになっていたはずである。この辺のストーリーのメリハリを整理して確実に抑えておくべきだ。

 

 

 

だから、来るべき時が来たら各派閥の代表者と無所属の代表者で構成される評議会のシステムを作ろう。そこで議長を決めてホームチャーチ活動に関する細かな約束事は評議会で話し合って決めよう。私は最前線でやる。

 

 

追伸

そこで私が最も興味を注がれることは、子女の責任分担の時代がスタートした1981年という時期に、文鮮明氏を取り巻く上層幹部たちが、もし仮に文氏の指示通りに統一教団組織を解体させて全祝福家庭が自立してホームチャーチ活動に取り組めるような方向性に尽力し導いていたとしたら、つまり統一運動の負的なアカシックレコードを塗り替えていたとしたら、その後における闇の権力イルミナティの活動は落ちぶれて世界情勢は変わっていたのだろうか?という事です。そしてあの9・11や3・11という惨たらしい事件は存在しなかったのか?脳裏を横切る。しかしこれは無駄な空想の遊び事でしかない。摂理と宿命は同一であるとグノーシスが説くように、私も歴史というのは大筋成る様に成っておりプログラム通りに世界情勢は展開していると思うのだ。だから、このことを真に理解したら、金孝律氏ご苦労さん?という事なのかも知れない。