奇知外記のブログ「お父様が独生女を最初に語られたみ言」を読んで | おやじは末端最前線で汗を流す活動をやり抜く

おやじは末端最前線で汗を流す活動をやり抜く

当局の方、もう時間がないですから早く手を打ちましょう!

以下の赤字は、奇知外記のブログから抜粋引用

お父様が「独生女」を最初に語られたみ言が1959年10月11日であったというビデオ映像があったので、そのみ言葉を探してみた。

さて、最も最初であるお父様の「独生女」発言は、数百巻ある『御言葉選集』の第7巻にそれを発見することが出来た

抜粋おわり

 

奇知外記のブロガーさん、もう、そろそろ文さんが語った御言葉の記録を引っ張り出して来て、それを根拠に自分が信じている信仰観の正当性を主張するのは、辞めた方が良い。いやっ、断じて辞めるべきだ。この事は、私がこれまでブログで何度も訴えて来たことです。

では、奇知外記のブロガーさんに伺いますが、あなたも知っているように、文さんの御言葉には、逆に鶴さんのこの「独生女」の内容と完全に対立している御言葉も確かに存在しています。この事実に対して、あなたはどう向き合い、自分の中でどう理解消化しているのでしょうか?教えてください。

奇知外記のブロガーさん、言わせてもらいますが、あなたがこれから取り組むべき事柄は、自分の持つ信仰観を肯定してくれる御言葉、自分が受け入れられる自分にとっての正となる文さんの御言葉だけに目を向けるのではなく、

逆の方向、つまり自分の信仰観を否定する文さんの御言葉、自分が受け入れ難い、自分にとって負となる文さんの御言葉も正と同様一旦受け入れ見つめて行かなければならない。なぜなら、同一人物が語った御言葉なのですから。

そして正と負を統合して、文さんの御言葉総体論の観点から、一段階次元を上げて、文さんと神の摂理の真実を見つける方向に向かうべきです。

つまり、文鮮明さんという人物と、神の摂理に関して、あなたはもう一度洗い直す余地は充分残されていると思うのです。

儀式だけの祭祀ではなくアッセッションを示唆している | 時が来たら派閥を越えた評議会を作ろう (ameblo.jp)