歴史の闇に葬られた真のユダヤ教 | UC摂理打開のために360軒ホームチャーチ吟味は必須事項

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一般的にユダヤ教の経典と言えば旧約聖書のみが頭に浮ぶが、厳密にいうと、これにゾハルの書とタルムードが加わるので、ユダヤ教は計三つの経典を持っている事になる。そこで目を見張るのが、この三つの経典の中身を比較すると、とてもとても同じ一つのユダヤ教の教えとは思えないほど、それぞれの中身が独自に完結しており、この三つの経典が全く関連性を持っていないのである。そしてこの事実に誰しもが目を向けたとき、旧約聖書、ゾハルの書、タルムードというこれら三つの経典が、なぜユダヤ教という一つの鞘(さや)に納まっているのかと言う事に疑問を抱くはずだ。それほど不自然なのだ。


しかし逆説としては、この不自然さの中にこそ、これまで誰も知ることの無かった歴史の闇に葬られた真実のユダヤ教を浮き彫りにできる鍵が隠されていると確信する。

そこでこの件について私は次のような見解を持っている。つまりエルサレムに在るユダヤ嘆きの壁の中央に刻まれた16菊の紋章と、そして科学的に実証されたイエスの姿が黒髪黄色人種であることを根拠に推測してみると、本来のユダヤ教とは、カバラを指すのであり、このユダヤ教カバラとは元々は縄文系カラ族が興した宗教であった可能性が高い。そしてこのユダヤ教カバラの経典がゾハルの書であったと言う事です。

そして古代のある時期において、アーリア白人種(ロスチャイルド、ロックフェラーなど偽ユダヤ人の先祖)が、縄文系カラ族が興したユダヤ教を乗っ取ってしまい、それでアーリア白人種が自らタルムードを作成し、ユダヤ教の経典にしてしまった。そしてユダヤ教の経典が三つに増え、本来のユダヤ教カバラの経典であったゾハルの書の影が消えてしまったという大筋のシナリオです。


ここで一つ付け加えたい事とは、死海文書を参考にすると、ユダヤ教カバラを生んだのは、縄文系イエスが所属していたエッセネ派という事になります。そしてそのエッセネ派が母体となって原始キリスト教が生まれる事になる訳です。これは私の直観で感じていた事なのですが、2000年前のユダヤ教「パリサイ派」の連中こそが、偽ユダヤ人のアーリア白人種であり、現在のユダヤ闇の勢力の先祖であったと見ていました。案の定、ウィキペディアに目を通すと、現在のイスラエル国ではパリサイ派という名称は、今は既に使われておらず、旧パリサイ派の事を今では「ラビ的ユダヤ教」と名称されていると言う事です。タルムードの中に「ラビ」という活字が出てきますが、このラビと言うユダヤ教の教師によってタルムードが書かれたと言う事です。



特にラビの書いたタルムードとは、闇の権力が目指す処の「新世界秩序」を実現するためのシオンの議定書という行動計画の基となっている。これからタルムード、旧約聖書、ゾハルの書という三つの中身を比較してみます。




タルムード

ウィキペディアから要点を抜粋引用

「口伝律法」を収めた文書群である。6部構成、63編から成り、ラビの教えを中心とした現代のユダヤ教の主要教派の多くが聖典として認めており、ユダヤ教徒の生活・信仰の基となっている。



すべて紹介すると量が多いので、限定して抜粋引用



世界はただイスラエル人の為にのみ創造されたるなり。イスラエル人は実にして、他の民は空なる殻皮のみ。従ってイスラエルの他に民族なし。彼らは ことごとく空皮に過ぎざればなり。

神言い給う、我は我が予言者を畜獣に過ぎざる偶像崇拜の徒の為に遣わしたるにあらず。人間なるイスラエル人の為に遣わしたるなり。

人間の獣に優れる如く、ユダヤ人は他の諸民族に優れるものなり。

すべての民を喰い尽くし、すべての民より掠奪することは、彼らすべてが吾等の権力下に置かれる時に始まるべし。

●吾々はタルムードがモーゼの律法書に対して絶対的優越性を有することを認めるものなり。

●タルムードの決定は、生ける神の言葉である。

●汝らは人類であるが、世界の他の国民は人類にあらずして獣類である。

●汝殺すなかれ、との掟は、イスラエル人を殺すなかれ、との意なり。ゴイ(非ユダヤ人)、ノアの子等、異教徒はイスラエル人にあらず。

●ゴイがゴイもしくはユダヤ人を殺した場合は責めを負わねばならぬが、ユダヤ人がゴイを殺すも責めは負わず。

●ゴイに金を貸す時は必ず高利を以てすべし。

●「世界はただイスラエル人のみの為に造られたり。」



●イスラエル人は、他のすべての民に対し優越する者なり、他の諸族の中には賢く利き者唯一人も居らざるに、イスラエル人にあっては全部が特に賢く利き人間なり。


<アブラハム・ゼバ法師>

●一人のイスラエル人の魂は神の前において他の民族全部の魂より価値多く、また神によって悦ばるるところのものなり。<シェフテル・ホルヴィッツ法師>

●悪しき者(非ユダヤ人)を憐むことは、正しき者(ユダヤ人)に相応わしからぬなり。<ゲルソン法師>

●ユダヤ人も非ユダヤ人の判断に信を置く事を、非ユダヤ人をして知らしむべからず。(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)

●ゴイに金を貸す時は必ず高利を以てすべし。<モシェー・バル・マエモン>

●拾得物を紛失者に返却すべしとの戒は、ユダヤ人に対してのみ守らるべきものにして、ゴイに対しては然らず。この事に就き亡き吾等の教法師達の言えるあり。即ち、 「遺失物とはすべて汝の兄弟の失いしところの物を指すものにして、ゴイの失える物 は然らず。その理由は、ゴイは神に属する者に非ずして、地の邪神に属する者なる故なり。故にゴイの失える総べての物は、此の世にては再び見付けらるる事なき遺失物 にして、その所有者に還るべきにあらず。財宝は唯イスラエル人にふさわしく、他の 民はこれに値いせざるものなればなり。これ預言者イザヤ(二六ノ一九)の言えるが如し」と。<ゲルソン法師>

●ゴイの耳は不潔である。かれらの浴槽、住居、田園は不潔である。(トセフタ・ミクワト、vの一)

●九歳と一日以上のゴイの少年と、三歳と一日以上の少女は、不潔とみなされる。

(パーフォコヴィッツ、タルムード、t・v、一一頁)

●他民族の有する所有物はすべてユダヤ民族に属すべきものである。ゆえになんらの遠慮なくこれをユダヤ民族の手に収むること差し支えなし。(シュルハンアルクのシ ョッツェン・ハミッバッド三百四十八)





引用はここまで



ゾハルの書について

独特の宇宙観を持っていることから、しばしば仏教の神秘思想である密教との類似性を指摘されることがあるそうだ。またゾハルの書は、初期キリスト教の神秘家にも採り入れられていたということである。


以下、「ゾハルの書」の一説から引用

「世界を創造することが神の思し召しにかなったその日から、それどころか、世界が現実に創造される前から、義しき人の霊魂はすべて、それぞれ独自の個性的形態を備えて、神の意の中にしまわれていた。そして神が世界を創造し給うとき、至高の高所において、様々な姿で神の御前に立っていた。それで神はそれらを天上の宝物殿に納められた。」


旧約聖書とゾハルの書の比較

この内容は旧約聖書を基とする統一の創造原理とは明らかに異なりますね。これを解釈すると、神が物質宇宙の創造に着手する前に、もうすでに高次元世界において、神はあらかじめ決められた数の一人一人の個性真理体の核となる意識・霊魂を、神の意の中に仕舞われていたという事だ。したがってゾハルの書とは、創造原理とかなりかけ離れている。つまり創造原理では、神が物質宇宙の創造に着手しエデンの園という地球環境を準備した後に、最後の被造物として我が子である人間を創造された。そして次の段階で神は人の肉身に命の息吹である霊魂を吹きかけたということだから、この時点で初めて人の意識・霊魂が発生したニュアンスが強い。だからこそ統一原理では、人の意識・霊魂というのは肉身とワンセットであり、そのワンセットである個性真理体の人間は、後にも先にも人類歴史の結実体として唯一無二の存在となる。そして死後、肉身は土に還り、人の意識・霊魂は霊界に旅立ち永生するということだ。だから決して輪廻転生の思想はない




Part2 ・・・・お待たせしました。


もう書き尽くしたかな?いやっ、まだまだ!!