アイツはダメだ

劣っている、

バカだから、

そんな能力ないよね

ヘンだよ

〇〇わだよ、

へそ曲がり、

腐ってる

 

など

 

私は、自分の親の口から出てくるコトバを聞くのが、

すごくイヤだった。

 

きっと、私のこともそんな風に言ってるんだと思ったし、

聞いている私にとっても本当に苦しかった。

 

 

評価のコトバは、

その人がどんな立ち位置で世間や家族を観ているのかを、暗に示す。

 

 

「そんなの冗談よ」

「ちょっと口が悪いだけよ」

「本心でないわよ」

 

 

いいえ。

子どもの私にとっては、その言葉を発していたことこそ事実。

 

 

そして、

母の言葉に反発したのは、

その「内容」でなくて、

 

相手の自尊心やプライドを傷つける言葉を、あまりにも無頓着に悪ぶれた様子もなく、半ば開き直ったように、正義であるように言っていた、その「スタンス」だったんだと思う。

 

 

私は、ここに幻滅し、

そしてそのスタンスを貫いていた母に絶望していたんだ。

 

 

その言葉の奥には、

母なりの落胆や葛藤、戸惑い、もどかしさ、恐怖、苦しさ、責任感、プレッシャーまたは母も自覚していない程の想いがあったかもしれないが、

 

子どもの私には想像もつかない。

 

 

時代も違い、

価値観も違い過ぎるけど、

 

 

人間の真理は変わらないと、

だから知る事で改善していける。

 

 

ゴードン博士に出会って救われた。

 

 

 

クローバー

 

 

子どもは

周りの大人からどのような関わり方をされたかで、

自己概念をつくっていきます。

 

 

そう思っているから、

そうなる。

 

 

親が作った「うちの子どもはこんな子ども」を、

エネルギーのある子どもは「反発」するけれど、

 

 

反発しながらも、子どもの困難を親が肩代わりして解決することが日常になると、

 

親への依存心を育てられて、

 

 

子どもは親から自立することが難しく、

諦めて、

「うちの子どもはこんな子ども」を受け入れていく。

 

日常生活で

ずっと刻み込まれてくから、その世界の中で生きる。

 

 

親に抗うのは、子どもにとってはかなりのエネルギーがいることだ。

 

 

だからこそ、

力を持っている親の方から、

親であっても「別の人であるという適切な距離感」をもちつつ、「寄り添い関わっていく」事が、

 

子どもを自立へ導き、結果的に親子を救うことになる。

 

 

力を持つ人の、

力のない人へのかかわり方が、問われる時代。

 

 

これは、親子も同じ構造であり、

ゴードン博士の説いている全ての人が自立した人間関係を育てる必要がある。

 

 

対等な人間関係のバランス感覚は、

 

そもそも、親の方が依存心の強いタイプの人にとっては、特に難しい作業。

 

私は、

反発しながらも、親への強い依存心を持っていたから、

自分の評価軸で判断することが、苦手だ。

 

 

でも、自己理解の先に、やっと、

不器用な親の愛情を理解して受け入れるだけの心の体力が見えてくる。

 

 

ああ、

知らなかったんだよな。みんな。

 

 

だから、伝わらずに、

ボタンの掛け違ったままで、

しんどかったんだな。