今日は、夫が休みでゴルフへ。
私は1人で梅田にお買い物に行きました。
帰りに、夜ご飯のおかずを買いに阪神百貨店へ。
私はもともと超貧乏性(要するにケチ)なので、1000円もあれば、おかずの材料がたくさん買えるじゃんって思ってしまうので、
デパ地下の買い物は苦手。
だけど、最近、その貧乏性を何とかしたいと思うようになりました。
ある時、もっと日常に楽しみのある人生を送ってもいいって、「ハッと」思えた。
こういう話は(楽しく生きようって話)、他からもかなりインプットしているのにね。
今まではアタマではわかっていても、心の底ではそう思えてなかったのかもしれません。
節約は美徳。
だけど、
ある時「楽しみのある人生」を送ってもいいということが、ストンと腑に落ちて
あ~そうだ、
って、
なんか、許可がもらえた気がしたんです。
「許可」って、、、、、
結局は自分で自分に「許可」出してあげてなかっただけですけどね。
(そもそも実家が超節約家で、私もいつもお小遣いには困ってて、貧乏根性が染みついてるんだなって思います。。。)
まあ、
何が言いたいかというと、アタマではわかっていても、心が納得していないことがあって、
だけど、何かのキッカケであっけなくポロリと剥がれるってこともあるんだなってことです。
私は、自分の中の違和感はキャッチしたあとは、アタマで考えるタイプ
なので、
その数々の違和感がすべて一点の曇りもなく納得できたことは、腑に落ちやすいです。
「考え方」というのは、すごく役に立つと思います。
そーは言っても、貧乏性は倹約家ともいい、大切な価値観でもあるので、そっちに戻るかもしれませんね。
(ここで、貧乏性と倹約家がどう違うかなんて言うことは、私にとって何が大事か?ということを考えるときには何の意味もないと思うんでやりません。昔は好きだった気がするけど)
さて、コロナからの日常が戻り、
どっさりと課題が出されているのに、手付かずの家庭が多くなっているようです。
まっしろで手をつけられていない課題をみると、親としてどう接したらいいかわからなくて困るとのお問い合わせが、また少しずつ増えてきました。
このブログで提言しているのは、すべて、子どもを変えようとするんではなく、親が変わろうという方法です。
子ども自身でなく、
自分に目を向けます。
急がば回れ、とか
北風と太陽、とか
そういうコトバが合うような気がします。
直接的に子どもに何かをすることでなく、
子どもがそう思うように、自分を変える、ということを考えてやってみようとするものです。
子どもを勉強させる、変えるのではなく、
子ども自身が、勉強したいと思うように、親が変わる。
その後、子どもが変わるか変わらないかはわかりません。
だけど、変わらないとすれば何かあるのだろうというスタンスです。そこもすべて徹底的に考えます。
徹底的に考えておくと、何がいいと言うのかというと、自分の中の矛盾点や葛藤についても事前に想定しておけたり、起こってしまっても修復箇所がわかることです。
できることと、できないことがわかると、
できないことをあれこれ悩むのではなく、できることに集中できます。
実は、
できないことを、悩んでいる人が多いなって思うんだけど、
これも、
もしかして、できると思っているから?なんて思う。
(特に、子どものことはそう思うかもしれませんね)
こういう記事は今までもたくさん書いてきた気がするので、過去記事をみてみた
よかったらチェックしてみてね
子育てに疲弊する人はここをチェック!子どもにかけるエネルギーの向きがずれていませんか?