ヘタレな子どもはこうして作られる?????

あなたの中のストーリーづくりに注意!

 

 

「コトバ」についてずっとかかわって来て、

「コトバ」から多くの情報を読み取ってしまう私。

 

 

不登校の子どもを持つお母さんのつぶやきから、私が読み取った親子関係について。

ご本人の了解の意向もあり、公開させていただきますね。

 

ズバッといきますよ!

 

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サポート校へ数ヶ月通えておらず、三者面談の時に通信制の先生から家庭教師を提案されて、子ども承諾して先月から始めました。

家庭教師。

子どもは断りきれないから承諾したんだろうな。
先生や私が横にいたから断れなかったんだろうなー。
案の定、先生が来ても部屋から出てこれない。
勉強は本人がしたいと思わないと身につかないし、本人の問題であって私の問題ではないもんね。

これが一生続くかなんて誰にもわからない。
子どもが笑顔でいてくれるのが一番です!

子どもが「無理かも」と言ってきたので、私も腹を据えて家庭教師を一旦辞めようと学校へ電話してみました。



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これで、どれだけのことがわかるでしょうか?

 

 

まず、

 

子どもは断りきれないから承諾したんだろうな。
先生や私が横にいたから断れなかったんだろうなー。
案の定、先生が来ても部屋から出てこれない。

 

 

こういう時、

お母さんの中で、ストーリーがつくられていることに気づいてください。

 

 

これはお母さんの憶測ではありませんか?

 


ここも、

親業をつかうと、その「ワナ」の存在に気づく事ができます。

 

 

まず、

今、目の前に起こっていることはなんでしょうか?

「行動」「事実」だけに着目します。

 

 

行動は「部屋からでてこない」です。
 

「部屋から出てこれない」と表記しています。

 

これは、

「(フツーだったら部屋から出てこれるのに)出てこれない)」

 

という前提からの発言になっています。

お母さんの「出てくるべき」という「評価」が入っています。わかりますか?

この場合、

シンプルに行動だけ抜き出すと、

「部屋から出てこない」となるでしょう。

 

 

部屋から出てこれない子どもを見て、お母さんは、動揺します。

 

そして、
「断り切れなかったんだろうな」と、その時の「理由」を憶測しています。

 

部屋から出てこない、、なぜ?

自分から言ったのだから、出来るはずなのに。

でも、出てこない。

本当は、やりたくなかったのかもしれない。だから、出てこれない。

きっとそうだ。やりたくなかったのだ。

でも、何故その時に言わないの?

きっと、言えなかったんだ。

断りきれなかったんだ。

 

 

断りたかったのに、断り切れない子ども。

(だって、部屋から出てこれない。。。)

 

 

これは事実とは逆になっていますね。

 


人は、内心「なんで出てこれないの?」と理解に苦しむ時、最もらしい理由を探すのです。

「きっと、本当は断りたかったけど、断り切れなかったんだろうな」とか
「ついつい、承諾したんだろうな」とか。

その方が相手を理解し易いからです。

ほとんど無意識でやっています。
そして、理由と行動が逆転して、ストーリーが完成します。

その時、ストーリーはまだ仮説です。

敏感な子どもは、お母さんのストーリーに反応します。

これも無意識レベルだと思います。

イヤなことを断りたくても断り切れない、自分の思っている事も言えない可哀想な気の弱い子ども
 

母親はそのように子どもを見ると、今度は、何をしていても、そう見えてしまいます。
すると、自分の仮説が強化されます。

案の定、先生が来ても部屋から出てこれない。

 


血液型占いとか、「当たってる~」と思うのも、同じ原理らしいです。

 

一度「A型は神経質」「B型はマイペース」みたいな「レッテル」みたいなものができると、それに該当する行動だけをピックアップして読み取っていくらしいのです。これは心理学でも証明されています。


こういうことは、子育てでよく起こっています。
お母さんが、ものごとを見るとき、なるべくフラットな視線を持つことって大切だなあと感じます。

 

まあ、

そうは言っても、誰でも何らしかのレッテルを持っています。


なので、子どもの気持ちについて、憶測、先回りしてないか?

そこも、よく確かめてみる習慣があるといいと思います。

 

 

子どもは断りきれないから承諾したんだろうな。

 

 

「断り切れない」とありますが、

本当に「断りたかった」のでしょうか?
本当に「断った」のでしょうか?

何と言っているか、よーく聞いてください。

ここもl「親業」の中に織り込まれていますね!

 


こころを代弁しすぎない。
 

それから、子どもは嘘つきです。コトバと本心が違うことはしょっちゅうです。
コトバに振り回されずに、コトバを大切にしていく。

コトバの奥にあるものを読み取っていく。


この方は、子どもを共感しようとして、自分なりの仮説や憶測を立てているように見えます。

 

そうかもしれない。

けど、そうでないかもしれない。

 

仮説や憶測を立てるのは、その方が理解しやすいし、共感しやすくなるからだと思います。

でも、怖いのは、それが「思いこみ」として刷られてしまい勝ちだということです。

 

そうかもしれない。

けど、そうでないかもしれない。


ここは、

子どもの気持ちを完全に理解しようとするよりも、

 

「私とは違うから、私にはわからないけれど、その子なりの理由がなんかあるんだろうな」


くらいに思えるのが良いんではないでしょうか。

 

 

子どもが自分とは違う存在である、という事が腑に落ちてくると、レッテル張りも減ってくるように思います。



あと、

気になった事。

子どもが笑顔でいてくれるのが一番です!

これはそうなのですが、いつも笑顔の人なんていませんよ~~~

 

ましてや今はサナギの時です。

苦悩の時を経て、人は美しくなっていくのだと思います。

苦しい顔をしていても、苦しんでいるとは限らないのです。

ものごとは、動き出す時、最もエネルギーが要ります。

疲れるのは当然です。でも疲れなければ先には行けません。

 

子どもの苦しい顔を見るのは辛いですけれど、変わってやることは出来ないのです。
 

私も、子どもの感情の吐き出しを目の当たりにして絶望的な気持ちになる時がありました。

2、3日頭から離れませんでしたが、子どもは意外とアッサリと次のステップへいっていました。

 

ここは「子どもを信じているか否か」が試されるところです。


子どもが「無理かも」と言ってきたので、私も腹を据えて家庭教師を一旦辞めようと学校へ電話してみました。

 


今、一番大事なコトは、寄り添いながらも、別々の人になることです。

なぜなら、母子の一体化が起こると、それは自立の妨げになるからです。
 

このために、一番大事なのは、娘さんの問題をとらないことです。

日常レベルで意識してください。

 

具体的に言うと、
「無理かも」と言ってきたけど、「無理だから、やめる」と言っていません。
 

「無理かも」→「ああ、やっぱりダメなのね」になっていますね。
 

ここを区別できるといいと思います。
 

 

「無理かも」「ふ~ん」でいいと思います。
「イヤなら断ってもいいよ」という情報は教えてあげることはできます。

でも、最終的にどうするかは娘さんが決めるべきです。
 

自分で考えて決めて、行動にする(例えばお母さんに「やめる」と言う)ように促すことが大事です。

この時、ゼッタイに誘導しないことです。シレ~としていることです。

人は困らないと、考えません。行動しません。
ちょっと困ってもらいます(笑)



大丈夫です。

 

困ったら、必ず動きます。聞いてきます。

それから「どうしたらいいか」だけ、教えてあげて下さい。


子ども知らない「情報」は教えてあげます。

でも断るか否かの「決定」はあなたがしません。


それもできない時・・・

すなわち、

どうしても、親が見ていられないと思う時もあります。

 

 

その時は、「私は心配よ」ということができます。

それは、闇雲にいうのではなく、自分が何を考えているか、親として自分の考えをまとめておく必要があります。

 

先生や子どもにその意向を告げるのは、わたしメッセージが良いと思います。
 

「家庭教師は止めた方が今は早い気がする」「自由にさせたいです」とか。

先生にそれを言うのも、具体的な根拠「子どもの状況の事実・行動」と、あなたが実際に味わっている「心理的な懸念・影響」として語ると、あなたの気持ちが理解してもらいやすいと思います。


ココで、気になるのは、あなたが「やめる」と「決めている」ことです。
「意向」と「決定」が一緒になっています。
すると「やめさせる」になります。
強制になってます~~~~汗


まあね、これも、あると思います。(第一法をつかわざるを得ない時)
 

もう、親の権限で「~すると決めました」と言う時です。

どうしてもイヤな時。

命に係わる時。

体罰のあるクラブをやめずに自殺した子どもがいましたけれど、あれなんか、親は絶対にやめさせるべきかどうか、悩んだと思います。でも、子どもは自分から「やめる」と言えないケースでした。子どもには子どものメンツがありますから。でも、SOSを送っています。
ここは、親の判断のしどころだと思います。

子どもから頼まれていないけれど、助ける時の原則は
「親のせいで、やめさせられた」と、悪者(?)を引き受けることです。


「自分は本当はもう少しがんばれるかも知れなかったのだけれど、親が勝手に決めた」と。

これは、子どものメンツをたて、自尊心が傷つくのを最小にするためです。
子どもからの反発覚悟です。

 

その時は親が非受容なのだから、親の問題です。

それで、親の権限を使います。

その時、親もヘンに言い訳しないのがいいと思います。

そのくらい責任をとる覚悟が必要だと思います。

どこでどう判断するか?
これには正解はありません。

大切なコトは、血の通った人間として、子どもの前にいることと、

子どももまた、自分とは違う人格を持つ一人の人として接する姿勢だと思います。

必要なことは、すべて親業のスキルに凝縮されているなあと改めて感じます。

「自他分離」親子の適切な距離感を保ちながら、しっかりと下支えする知恵が詰まっています。

 

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ブログ掲載ありがとうございます。

 

きっと、コトバの影響力や、親のあり方、立ち位置について、勉強したいと考えている人にとっては、参考になると思います。

 

今、私の元にも、多くのお母さまから、「子どもに与えるコトバの影響について知りたい」というお問い合せが入っています。

 

 

気になる方は是非、親業を勉強してみて下さい!