●他人の評価基準に従うより自分の価値基準で行動できる子を育てよう!
おかん塾では、子どもの自律心が育つ子育て(親業)を提唱しています。
子どもの自律心とは「社会のルールや人との約束を自らを律して守ろうとする心」です。「その場の状況に合わせ、社会のルールにのっとり、自らの発言や行動を適切に律することを目指します。これは社会で生きていく上では最低限必要なこと、これができなければ他人からの信用をなくし、社会から受け入れられなくなるでしょう。
この、内的な規律を家庭の中で育てておく方法です。
自分の事を自分でコントロールできる子を育てるって、子育ての理想じゃないですか?
←親がガミガミ言わずに済むし(笑)
私も、それを狙ってましたよ!
大好きな本。
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自立心を育てるしつけ―親業・ゴードン博士
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自立心を育てるしつけ(トマスゴードン著)
しつけと言っても、「躾」ではなく、自己規律心です。
元々はセルフ・ディシプリンsélf‐díscipline
で、自己訓練という意味だそうです。
discipline
翻訳者のかたも、迷ったところみたいですが、
本では「しつけ」と「自己規律心」とがその場に合わせて訳されています。
自分で自分を律すること、セルフコントロールこそ、子どもを育てるうえで重要な要素になると言っています。
ああ、
私は、
自己規律力が乏しくてね、、、
欲しい~~~~
これがあれば・・・
これがあれば・・・
ラクラク3kgは痩せてるかな?
子育てをしていたら、
一番気になり、
一番身につけて欲しい力ではないでしょうか。
多くの教育者がこの力の必要性を唱えているのにかかわらず、実際には依存性が高く指示待ちの子どもが増しているように思えます。
以前、ある講演会で聞いた話なのですが、
大学の先生が、授業の後、めずらしく学生に呼び止められたそうです。
先生は学生からの質問をとても喜んだそうですが、質問の内容にはガッカリしたそうです。
その質問とは?
・・・
・・・
「先生、これはテストに出ますか?」
つまり、
テストのためだけに勉強する姿勢だということ。
でも、
最近では先生の方が、
「これはテストに出るからな~」
なんて言ってますから、
もう、勉強とは自分の知的好奇心を刺激したり、世間の問題を知る事、社会に出るために、社会の情勢を学ぶことでなくなっているということですね
単に、テストに出るか出ないか、暗記のためのモノにすり替わてしまっているのは、
今の子どもが純粋に、探求や好奇心から学ぶ楽しみを味わうことが出来ていないという事なのかなと思うと、すごく寂しい。
「子どもは勉強が嫌い」「大人が勉強をさせなければ、子どもは自分ではやらない」のが前提の考え方ですよね。
なので、子どもは高い確率で、そのように育ちます。
また、
こんな話も聞きました。
ある、学校支援の先生が小学生にアンケートをしたのだそうです。
この中で一番やってはいけないこと2つはどれですか?
自分を傷つける
友達の背中をたたく
親の言うことをきかない
公園の遊具を壊す
食べ物を粗末にする
・・・・
全部やってはいけないことですね・・
だけど、今の子どもたちにとって、判断基準はたった一つだそうです。
それは、
捕まるかどうか?
・・・・
私は、この話を聞いた時に、何だか考え込んでしまいました。
労力を「費用対効果」で測り「他者の評価を自分の行動の基準」として生きている子どもたち。
他人から規律させられている限り、自分の頭で判断したり、行動をどうするか?考える機会が与えられていません。
自分の行動の基準を、他人の評価を委ねながら生きているとしたら、
世の中が窮屈に感じて、息苦しくなったり元気がなくなってくるのは、当たり前ですよね~
自分の行動は、
自分の価値基準で自分で決めて生きる
それが出来るとき、本当の自分を自分らしく生きている気がするのではないでしょうか。。
でも、
出来ればそうさせてあげたいと思うけれど、
ムクムクと気になってくるのは
そんな自由に生きるなんて大丈夫?
他人との共生や調和も大切だよね。
勝手気ままにやりたい放題なんてなったら困るんじゃないの?
ということ。
だからこそ、
自己規律心を持つことが必須です。
この「自由」を達成するには、内的な「規律」が欠かせないのです。
(逆にいうと、規律心があれば、自由になれるということ。)
わたしは、親として、
他人や世間の基準は、世間の基準として伝えながらも、そこに振り回されずに、
自分自身の価値基準を持ちながら、それに従って生きるような、豊かな人生を送って欲しいなと望んできました。
人生は、自分が主役で生きていいんだよ、
あなたは、あなたになりたいものになれる。自由なんだよ、
自分のものさしで生きていいんだよ、と、
子どもたちに教えてあげたかったのです。