こんな会話がありました。


ママ 「子どもに手がかかるわ~」

わたし 「うちはね、わたしが何もしないの。だから子どもが自分の事をするのよ。」

ママ 「そうなの?」

わたし 「うん。例えばね。水筒も自分で入れるのが、”当たり前”なの。だから、やってあげたら、『ありがとう』って言ってくれる。」

ママ 「へえ~いい事、聞いたわ。」

そうなんです。
ママが何でもやってあげたら、やってあげるのが”当たり前”になっちゃう。
わたしはそれが嫌だったのです。
だから、やらないのが”当たり前”にしました。
だから、子どもは自分でやるしかありません。
(もちろん、状況によりますが・・・・。)

小さい時には”当たり前”にやってあげられたことが、成長と共に、負担になっていくことって、ありますね。

「いつまで世話を焼かなきゃいけないの~」なんて・・。

それらは今までママが”普通”にやってきたこと。
でも、成長と共に状況が変わり、今まで”普通”にできていたことが、急に負担に感じたりする。

でも子どもは、ママの変化がわからない。
子どもの立場になると、
同じことをしているのに、突然ママの機嫌が悪くなる・・・というわけなんです。

そんなとき、ママが子どもにちゃんと言ってあげないと、わかんないのよね。

我が家の場合は、
わたしは、もともと母性が少ない(?)のか、あまり世話を焼けないタイプ。

子どもがダラダラしてるのに、自分だけが、セカセカ働いているのは、ゼッタイ無理!

なので、子どもにしてあげる”当たり前”の基準を下げることにしました。

自分のことは、自分でする。
自分で出来ないことはお母さんがしてあげる。

極力、何もしない。

エヘへ

そうしたらね、
マラソン大会につかったハチマキのアイロン掛けも、いそいそとやってるんですよね。

まあ、できるもんですね。

「アイロン掛けは親がする」というのも、思い込みなんですよね。

要するに、
親が子どもにしてあげる”当たり前”の基準って、ママが自由に決められるのです

それならば、
「わたしばっかり!!」と家族に言う前に、自分が笑っていられる”基準”を、ちゃんと示してあげることが、家族の平和に大きくかかわるように思うんですよね。

自分が楽しくいられるように

自分のコトぐらい、自分で 責任もって 機嫌よくしていたいものです。