「悔いはなかった」とその人は言った… | やぶんひとりごつ

やぶんひとりごつ

2000年、リーマン辞めて京都へ。お寺に居候すること五年間。
その日々の事あれこれ…これまでとこれからのこと。
でも実際は現在東京在住戻りーマン。一方でリアルジャパニーズ目指します。
泣かず飛ばずの「おやぶん」日記、始まるよ!!


  「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました」
  新約聖書:テモテへの手紙第二  第4章 7節


 ラオウのような言葉を残して、その人は逝った。

 身近な存在として、父親以外の「でかいヒト」として認識していたその人は最後まで「でかいヒト」だった。

 
 ボクは小さい頃、両親に連れられて教会に通っていた。
 その人は牧師さんだった。

 子供の目には、大きく、逞しく、目に不思議なチカラを持ち、皆に話しをする彼の力強さは怖さにも通じていた。
 しかし一方で、声は大きく、良く笑い、そして優しい人だった。


 その後高校卒業と同時にボクは教会に行かなくなったけど、その人はボクをずっと見ていたし、覚えていてくれた。


 数年前、彼は脳梗塞で倒れた。

 医者すら「左は諦めてください」と絶望視する中でその人は決して諦めず。自力で歩くまでに回復した。
 そんな事は知らなかったから、京都から帰省していたボクは道で彼と出会い、杖をつく姿に驚いた。
 「病気でね(笑」と笑い飛ばし、自分のことよりもボクの事を心配してくれた。
 「がんばれよ」と差し出す手を握ると凄いチカラで握りかえしてきた。

 これが病のヒトのチカラか?

 これが信仰のチカラなのか?




 病の床にあってその人はこう言ったという

 「豊かさとはほど遠い生活でしたが、私は自分の信じる道を活き、自分のやりたいことをさせてもらった、今までの私の人生に後悔はないんですよ」

 ボクの「でかいヒト」は、最後まで「でかいヒト」だった。


 ラオウのような言葉を残して、その人は逝った。
 
 亀谷荘司牧師のご冥福を心よりお祈りします。

 合掌。