「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました」
新約聖書:テモテへの手紙第二 第4章 7節
ラオウのような言葉を残して、その人は逝った。
身近な存在として、父親以外の「でかいヒト」として認識していたその人は最後まで「でかいヒト」だった。
ボクは小さい頃、両親に連れられて教会に通っていた。
その人は牧師さんだった。
子供の目には、大きく、逞しく、目に不思議なチカラを持ち、皆に話しをする彼の力強さは怖さにも通じていた。
しかし一方で、声は大きく、良く笑い、そして優しい人だった。
その後高校卒業と同時にボクは教会に行かなくなったけど、その人はボクをずっと見ていたし、覚えていてくれた。
数年前、彼は脳梗塞で倒れた。
医者すら「左は諦めてください」と絶望視する中でその人は決して諦めず。自力で歩くまでに回復した。
そんな事は知らなかったから、京都から帰省していたボクは道で彼と出会い、杖をつく姿に驚いた。
「病気でね(笑」と笑い飛ばし、自分のことよりもボクの事を心配してくれた。
「がんばれよ」と差し出す手を握ると凄いチカラで握りかえしてきた。
これが病のヒトのチカラか?
これが信仰のチカラなのか?
病の床にあってその人はこう言ったという
「豊かさとはほど遠い生活でしたが、私は自分の信じる道を活き、自分のやりたいことをさせてもらった、今までの私の人生に後悔はないんですよ」
ボクの「でかいヒト」は、最後まで「でかいヒト」だった。
ラオウのような言葉を残して、その人は逝った。
亀谷荘司牧師のご冥福を心よりお祈りします。
合掌。