いつも 店を閉めて歩き出すと、携帯を開けて母に電話します。

お:「モシモシ。」

母:「はい お疲れさん。」

お:「今から帰ります~。」

母:「何も いらんよ~。」

何も買って帰る物は無いと言う意味です。

何も無いのは わかっているのですが、数年前 母が大きな病気をして 家から出れなかった時に、代わりに買い物をして帰っていた時の癖で、ついつい毎日 この会話になるんですね。


お:「ふん、ほな 帰りますぅ~。」

母:「気をつけてね。」

お:「はい は~い。」



毎日 同じ内容の数十秒の会話。

毎月の通話明細を見ると、ほぼ 同じ秒数。


この通話が終わったら、その日の僕の『お仕事モード』のスイッチがOFFになります。

人によっては、これが気持ち悪いマザコンだと言われる方もいらっしゃいますが、そんな時には 説明するのもめんどくさいですから、、、「ええ、そうですけど! それがなにか?」と言ってやります。


こうして毎日、何気なく母の声を聞いていますが、たまに思う事、、、


「この会話は、あと何年出来るんやろ~?」


“縁起でも無い事を言って!”と思われるかも知れませんが、みなさんも考えてみて下さい。。。

今 生きていると言う事は、この瞬間も確実に 死へ向かってカウントダウンされているんです。


これを意識する様になってから、一日一日 通話が終わるたびに、「今日も親子ふたり、、、無事でいれて ありがとう。」と 誰かに向かってでは無く、自分自身の心に語りかける様になりました。



ウチは、早くに父親を亡くし、以来40年以上も母と二人で生きて来ました。(いや! “育ててもらった”が正解ですね。)

だから、普通の家庭よりもさらに 親子の結び付きが濃いと思います。



また、近年になって気付いた事があるんです。


この体。。。


皮膚...

骨...

肉...

血液...


すべてが、元は母の肉体であった事を。。。


ありがたく授けてもらった体だから、大切に感謝しながら使わないと、、、



産んでもらって、50年近く経って 気付いた大きな事。。。


今頃 気付いても、遅すぎる?

それとも、今 気付いて良かった?

僕は、もちろん後者ですね。


あと何年、この二人三脚が続けられるかは、神様にしか決めれませんが、日々 何事も無く 平穏無事に過ごせる事に感謝しないとね。

『最近、何も無いから おもろないわぁ~。』では無く、『何も無いから、無事で幸せ。』なんじゃないでしょうか?



何だか、、、珍しく 深い話しになってしまいましたね。

たまには、こんな事を真剣に考えてみるのも 善いでしょう。

毎日 酷使している、心の洗濯も 時には必要ですから。。。