「心の洗濯」
などという言葉が
よく交わされる
美しい自然と
触れ合ったり
美しい芸術を
鑑賞したり
瞑想や黙想などに
ふけったり
慈善活動や
奉仕活動をしたり
カウンセリングや
セラピーを受けたり
いろんなことをして
心を洗濯しようとして
いるようだけど
洗濯して出された排水は
どこへゆくのだろう
誰がどうやって
処理するのだろう
下水処理場の微生物のように
汚泥を分解してくれる存在が
どこかにいるのだろうか
でもそれらの微生物は
汚泥の処理のために
使われるだけ使われて
用が済んだら
殺菌されてしまう
「心の洗濯」から出た排水を
処理している存在も
使われるだけ使われて
用が済んだら
棄てられてしまうのだろうか
「心の洗濯」という
美しい言葉の裏に
人知れぬ哀しみが
隠されているような
そんな気がする