ぬか喜びの
繰り返し
振り返ってみれば
そんな人生
何かいいことが
あったと思っても
実の入っていない
粃をくわえて
喜ぶ雀のように
後になって
がっかりする
希望をいだいて
努力をしても
一生懸命
槌をふるって
糠に釘を打ち込むように
何の意味も
何の成果も得られない
そんなことの
繰り返し
喜びだと思ったものが
ぬか喜びとなってしまうのは
何か特別なことを
喜びだと思うことが
誤りだからだろうか
もしかしたらぬか喜びは
何事にも動じない平常心を
求めているのかもしれない
何でもない日常の中に
喜びを見出す心を
求めているのかもしれない
その心の中にこそ
本当の喜びがあるのだと
伝えているのかもしれない
そんな本当の喜びを
生きている内に
実感してみたい