麺教室へ行こうと思い立ったのは父親がうどんやそばが好きだったからである。でも作る機会があんまりないままに、父親はだんだんうどんを食べなくなった。少し硬めにゆでたり、いやいや年寄りだから柔い方がいいのかも、と試してみたがやっぱり残す。父親はクモ膜下出血を起こしてから失語症になり筆記もできず、加えて年をとり耳も遠くなったために、コミュニケーションがほとんどとれなくなっている。長い麺がダメなのかとキッチンばさみでちょきちょきしたが、やはりダメ、お椀をはじめから脇へよけて、もうほとんど手をつけない。というか普通の食事もあまりとらなくなってきた。もの語らぬ父親はただ手を横に振るだけである。僕は、うどんをだすのをやめてしまった。そして、まもなく、父親の食事の準備をする必要がなくなった。そればかりか、朝晩の血圧体温や体重の測定もしなくてよいようになった。
父親の環境が変わって、僕はさらに色々なことから解放されていった。ベッドの柵をつかんで、乗り越えようとする父親を押さえる必要がなくなった。病室を出るときに手を振らなくてもすむようになった。ほっぺたをつねっても、手で払いのけられる心配もなくなった。大工をしていた名残のあるごつごつした大きな手を握り返す必要もなくなった。数日後には、酸素呼吸マスクのずれを直す必要もなくなった。
 夜通し詰めるつもりで荷物を持って病院へいったのに、数時間後にはわずかにあった胸の動きを見守る必要もなくなった。そしてそして、最後は心電図のモニタを食い入るように見つめる必要がなくなった。というのも先程まであった不規則な波形が消え、いつまで見つめていようとも、ただまっすぐな横一線、緑色のラインが変わらずに、薄暗い部屋の中で光り輝き続けるだけだったから。
4ヶ月ほど前のできごとである。父親89才の誕生日まであと1ヶ月ほど、という夏の暑い夜であった。

仕事の合間にお昼。時間がないので、「もやしを加えてすぐできる。春雨炒め」をつくっていた。すると後からきた奥さんが、「ほうれん草まだ生やんか」「???」ほうれん草なんてナイヨ。もう一度奥さんが「ほうれん草に火がとおってないよ」「は?ほうれん草なんて使ってないよ」はっとする奥さん。「わたし、もやしのことほうれん草って言ったね」

「友人が旦那さんと竹内まりやのコンサートいってんて。旦那の松下達郎がバックコーラスしてたらしいよ」僕は聞き流したのだが、自分で気がついた。「山下達郎やったね。ははは。も~どうしよう。」

僕より年下だが、一歩先んじている。

計量カップに水が入っていたので、夕食の坦々鍋の具材とともに鍋に入れた。しばらくして嫁さんがきて「あ、、この計量カップにはいってた水、ひょっとして使った!」「鍋にいれた」というとバツの悪そうな顔をしている。この話を続けるには我が家の背景をお話せねばならん。
うちでは浄水器をつかっておる。煮炊きもの、やご飯を炊くときはこの浄水器の水を使うのだ。この浄水器の水を計量カップではかりとるとき、多くとりすぎて余るときがある。すると奥さんは、もったいないからと捨てずにそのまま流し台テーブルの上に置くのである。捨ててもよいのに、と思うが奥さんがそうするので、次に計量カップを使いたい私はその水をそのまま使う。
で、話が元に戻る。計量カップに入っていた水を、私は何の疑いもなく、ネギや白菜など具材のタップリ入った鍋へと注ぎ込んだのである。それを聞いた奥さんは、鍋の具材を取り出し流水で洗っている。おそるおそる私は聞く「何の水やったん!?」一瞬の躊躇の後に「お仏壇に置いてあるお花の水。お水交換しようと思って古い水を計量カップにとって、台所に置いて忘れてそのままおいてしまってん、ゴメン」え~~何でそんな水計量カップにいれるねん。プンプン!!