☆今回の記事は、ご自身が悩み、不安の中にいてしんどい方、
悩みを抱えた人への接し方に悩む人、に向けて書いています。
ネガティブな事柄に触れると、
良くない方に引っ張られそうだと
感じる方は、読まない方が良いかもしれません。
自分を大切にするための判断をなさってください☆
前回、
自分の悩みやマイナス感情について
カウンセラーなどの専門家に話を聞いてもらう場合、どのような人にお願いすればいいか
自分なりの見極め方を書くつもりでいた。
そして今朝、
友人のみわさんのブログを読んで(リブログ先のみかさんのブログも、ぜひ読んでほしい)
まず最初に、
「助けて」と
どうやったら遠慮なく人に言えるのだろうか?
ということに思いをめぐらせた。
辛い状況にいる人ほど
知らず知らずのうちに
我慢強くなってしまうもの。
「助けて」と言えるうちに
助けて、と言う大切さについて考えた。
ここで、ちょっと例をあげて
知り合いや友人に話を聞いてもらう場合と
専門家のカウンセリングの違いを
個人的なイメージで説明させてもらうと、
深い穴に落ちてしまうと、
(悩みが深くなり、
不安から絶望感に変わるレベル)
それがどんなに善意からくる言葉だとしても、
他人の正論、助言は届きにくい状態になる。
「地上から何か聞こえるな」くらいに感じる。
お互い普通のエネルギー状態の範囲なら、
地上にいる同士なわけだから
会話ができるし聞こえもする。
誰かのアドバイスを聞いたり、
ブログや本でぴったりの情報を見つけて
気づきを得て解決できることも多い。
これに対して
専門家のカウンセリングは、
落とし穴に落ちて
自力で出られないほど
エネルギー状態が下がっている人に対して
上から励ましても登れないことを
知っているので、
命綱をつけて(共感はしてもエネルギー的に引っ張られない訓練をしている)
穴の底まで降りてきてくれて、
地上に戻る後押しをしてくれる人
というイメージ。
気をつけてほしいことは、
穴に落ちると、
自分では殻に閉じこもっているつもりはなくても
外から見えなくなっていく。
動けなくても
声が出せる力が残っているうちに
「助けて」と言ってほしい。
声が出せない状況になった人を
外側から見つけて助けることは
とても残念なことだけど、実際難しい
「深刻な事態はめったに起こらない」
「心配ごとのほとんどは起こらない」
それはある意味で正しい。
…だからこそ、
その「普通ではない」状況に置かれてしまった人たちは
孤独になってしまう。
見えない所で悲しい結末を迎えている人も
たしかに存在する。
助けになれなかったと悔やむ人を責めているわけではないことは、できればわかってほしい。
皆それぞれに寿命や運命があって、
そこはあきらめるしかないことでもあるのだけど
結末がどうあっても、
人から受けた思いやりや
善意から来る行動が
無駄になることなんてないと
わたしは思っている。
もしかしたら
最初の、「助けて」の声を上げることが
難しいと思うかもしれない。
「みんな大変だから」
「このくらい大したことないから」
そう思うかもしれないけれど、
辛さの感じ方は
人それぞれだし、
他人はあなたの辛さを
正確に想像できないのだから
自分が「助けてほしい」と思ったら
助けを求めていいのではないか。
特に、
社会システム上弱い立場に置かれている人が感じている辛さというものは
相手にその気はなくとも、
矮小化(実際より軽く見られる)されがちなものだと知っておくことも
必要かもしれない。
個人的な意見ですが、
本当のプロフェッショナル以外には、
本当の意味で
人の辛さに優劣を付けずに話を聴くことは難しいと思います。
自分一人では
辛さを過小評価したり、
逆に自分を哀れに思う感情や
絶望感に浸りすぎて、
問題解決から遠ざかったりしがちです。
できればプロのカウンセラーに話せるといいと思う。
国家資格などの有資格者に限らず、
探せば必ず出会えます。
カウンセラーなどの専門家に話を聞いてもらう場合、どのような人にお願いすればいいのか?
自分なりの見極め方について、
この次に
書いていきます。