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昨日、夫に子ども2人を任せて

以前勤めていた
不登校・ひきこもり支援団体の講演会があり、

父親と息子の取り組みという
興味深いテーマだったので聞きに行きました。



小学校6年生から
息子さんが不登校になり、
家庭内暴力が始まり
一年間母親を家に入れず、

父親と息子2人だけの生活に。

混乱する息子さんの様々なこだわり行動や欲求を支え続けた結果、

中学校は1日も登校せずにいたのに
突然高校は皆勤で登校するようになったそうです。


その時、一体父親はどのような対応をしたのか?その時の心持ちも含めて語られました。


昼夜逆転の息子さんに、仕事の合間にご飯を作ってあげたり、


一緒にゲームして欲しいと言われれば、
攻略本を買い、練習してまで息子に付き合ったそうです。


なぜそこまでできたのか?

もちろん、家族や第三者に相談したり助けを求めたりもされたそうですが、


「たとえ全世界の人間が、息子を否定しても、自分だけはこの子の味方になる」と
思ったからだそうです。


でも時々何度も、

「このままこの子の言う通りに付き合っていて本当にいいんだろうか、

規則正しい生活をさせて、社会に出られるようにさせるのが親の役目で、

自分は親としての責任を放棄しているのではないか」

と考えたそうです。


でも、その時

「そうしたいのは、親の気持ちなんだ。子どもがそうしたいんじゃない。

自分がこの子どもに付き合う生活から逃れたいことを、正当化したいんだ」

と気付かれたそうです。


親の気持ちや期待に応えるため、
ずっと頑張り続けてきて

ある日「我慢の限界」が来てしまった息子。

不登校やひきこもり、それに続く様々な
普通であれば「問題行動」と言われるであろう行動や要求を、

やっと出せた「サイン」として扱い、
付き合い続けることで
気づいたら息子は復活していた。


実際にはもっと多くの困難があったのだと思われます。

ここには詳しくは書ききれませんが、他にも色々なエピソードが語られました。


現在復活した息子さんについて、お父さんは

「これから先のことはわからない。でも子どもが自分のペースで決めていくと思う」

と言っています。



自分の価値観や、社会の価値観を変えてまで
ひきこもっている息子の感じている世界に付き合う。

寄り添うことはもちろん、息子を守るために行動する。


愛なくしてはできないことだなと思います。



講演会の最後に、
その「愛の定義」についての話がありました。




アメリカの精神科医で作家の
M.スコット・ペックは、

「愛と心理療法」という本の中で

愛について次のように定義しています。


『愛とは、自分自身あるいは他者の精神的成長を培うために、自己を拡げようとする意志である』


わたしはこの本を読むまで、

愛とは「愛情」のことで、

子どもや家族にいつも「愛しい」という気持ちを持ち続けることとか、

惜しみない「愛情」を注ぎ、
見返りを求めず与え続けることが理想的な「愛」であり、

自分は自然に湧き出てくるような「愛情」も「母性愛」も持ち合わせていないし、

子育てだって、愛情というよりも
ひたすら「責任感」でやっているようなものだ、と

思っていました。


この本を読むと、

愛について自分がどう考えているか
もう一度確認するきっかけになります。


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ペックさんはこうも書いています。

『自分の限界を広げる行為は努力を必要とする。
限界を超えなければ限界は広がらない。
そして限界を超えるには努力が要る。

誰かを愛する時、それは努力ー愛する人のために(あるいは自分自身のために)もう一歩踏み出す、あるいはもう1マイル歩くという事実ーによって初めて顕れる。
あるいは真のものとなる。

愛は努力なしにはあり得ない。
それどころか、労多いものなのである』



今回お話されたお父さんは、

親自身が自分のこれまでの価値観や信念について考えなおし、

ひきこもる我が子の世界を理解し、
自分の世界を広げようと努力し続けていました。

それが息子さんの安心と復活につながったのだと思います。



自分と我が子の心の成長と幸せのために、
親自身が前向きに世界を広げようと行動する「意志」と「行動」、


これは子どもに確かに伝えられる
「愛」なのではないかと思います。


とても感銘を受けました。


その後そのお父さんと、
直接お話し出来る機会があり、


わたしは自分の息子のこと、

食物アレルギーや
発達障害を持っていること、
特別支援学校に入学したけれども
毎日学校に行くのを渋っている話などを
含めてお話ししました。



そのお父さんは、

「何があっても、
自分の子はすばらしい子だってこと、
それだけわかっていて、ブレなければ大丈夫だよ。

障害やアレルギーだって、
何かそういうことを乗り越える役割を持って
生まれてきたのかもしれないよね」

と、

さらっと言われました。



他のアレルギーをお持ちのお子さんを育てていらっしゃる親御さんや、

同じく障害をお持ちのお子さんを育てていらっしゃる親御さんが時々伝えてくださる、



この子のアレルギー、
この子の障害があったから
わかった世界がある



わたしはようやく、
これらの言葉が実感できるようになりつつあります。



子どものアレルギーがあったから、

食事や健康について考えなおすことができた。

家族や周りの人に支えられていることに気付けた。

色々あるけど、生きていることが一番大切、という気持ちを持てた。


子どもの障害があったから、

発達障害という新しい世界を知れた。


正直、発達障害の方は

まだ未知の部分が多すぎて

手探りの部分があるけど、

彼の感じている世界を少しでも理解したい。

時々、いやほぼ毎日、

「これがわたしの限界だ」と
思わされることばかりだけど、

子どものためならあと一歩踏み出そうと思える。


わたしは今日も、

一歩ずつ

自分の世界を広げるために行動します。



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本日も、
最後までお読みいただき
ありがとうございました😊