4月27日から静岡市歴史文化施設プレ事業として特別展「東海の覇者 今川義元と駿府」がはじまり、第1会場になっているのが静岡浅間神社にある静岡市文化財資料館(Twitterはこちら)です(第2会場は、駿府城公園巽櫓)。

第1会場のテーマが「今川義元の生涯」で、今年の今川義元公生誕五百年祭に合わせた企画です。古文書がかなり展示されていて見ごたえがあります。パネル展示がいくつかありますが、実物の文書は、ふだん目にすることのできないものが多く必見です。

今川氏親制定の「今川仮名目録」の写本は明治大学博物館のものが展示されていますが、今川義元の「仮名目録追加」の方は私の所蔵する「今川記」に所収されている部分が実物展示されています。「個人蔵」となっていますが、外に出すのははじめてです。

先日、三重県伊賀市で講演があり、一泊して、天正伊賀の乱発端の一つとされる丸山城に行ってきました。織田信長次男の信雄が天正6年(1578)3月、伊賀平定をねらって、家臣の滝川雄利に命じて築城を始めたところ、近隣の土豪たちが築城途中の城を攻め、城兵が逃げもどり、それを怒った信雄が同年9月、伊賀に攻め込んだところ、大敗を喫し、信雄が信長から叱責されたことで知られています。

その3年後、信長本人が大軍で伊賀討伐の軍を発し、伊賀一国の平定に成功したといういわくつきの城で、福井健二・武田憲治・中井均編『三重の山城ベスト50を歩く』に掲載されている縄張図をコピーして歩いたのですが、遺構がよく残っているのにびっくりしました。また、土豪たちが拠点とした隣接する天童山にも登り、天正伊賀の乱の頃を思い浮かべました。

地元の人によって城跡は草刈りがされ、また、曲輪の一部に織田軍・伊賀在地軍両軍の慰霊碑があり、地元の人が交替で花を供えているという話を聞き、地元の人に守られていることを知り、うれしく思いました。

伊賀市上之庄の(株)大田酒造の「半蔵」は「G7伊勢志摩サミット2016」のときの乾杯酒だったということで、早速、呑ませてもらいました。おいしかったです。