今回の地震で亡くなった方々のご冥福を祈るとともに、避難生活を送られている人々にお見舞い申し上げます。
新聞やテレビの映像でしか被害の状況をうかがうことができませんが、想像を絶するもので、あらためて自然の力のすごさをかみしめています。
熊本城では復元天守が傾き、国の重文、東十八間櫓と北十八間櫓が石垣ごと崩壊し、飯田丸の石垣も崩れ、復元建物がかろうじて載っている状況がテレビ画面に映し出されたときはショックで声を失いました。
2週間前に行ったばかりだったので、「あそこが崩れるのか」との思いです。
石垣の石はどこも写真に撮っていると思うので、元の位置に積み直すことはできると思います。パズルのようにはめこんでいけばいいわけですが、崩落の状態がひどいので、中には落ちたときに割れた石も出た可能性があります。現在、石の調達はかなり大変で、また、経験を積んだ石工さんもそんなに数はいません。それは、小田原城の石垣整備のときに私も経験しています。近いところでは東日本大震災で崩壊した白河小峰城の石垣復元の例もありますので、そうした経験を生かして、時間はかかってもいいですから、復旧に着手してほしいと思います。

来る4月23日(土)午後2時から、静岡県地域史研究会の例会が開かれます。場所は新静岡セノバの向かいにある静岡県教育会館です。
今月は私と三島の土屋さんの研究報告で、私は「戦国時代の井伊氏と今川氏―抗争から臣従へ―」というタイトルで、遠江守護斯波氏についていた井伊氏が今川氏に臣従していく過程を追う予定です。会場費として100円いただいています。ご興味のある方はどうぞお越しください。
私の古稀記念論集『戦国武将と城』に「津波堆積物と考古資料からみた北条早雲の伊豆・相模進攻戦」と題する論文をお寄せいただいた金子浩之氏が、さらに研究を進め、このほど『戦国争乱と巨大津波-北条早雲と明応津波-』雄山閣)という本を上梓されました(雄山閣のホームページでは初版が2015年2月25日となっておりますが、誤りで今年の2月25日に発行されたものです)
北条早雲(伊勢宗瑞)の伊豆進攻と明応地震との関係については、家永遵嗣氏の研究によって明らかになってきたところですが、本書は、津波被害を受けた城跡の考古学的アプローチとして注目される内容になっています。
最も印象に残ったのが伊東市の鎌田城についての記述部分です。一読して、これは静岡県の「杉山城問題」だと思いました。「杉山城問題」というのは、縄張研究による年代観と、考古学研究による年代観のずれが問題となっている点です。
鎌田城は、縄張研究では戦国大名北条氏時代のものとされてきました。しかし、考古学的には、早雲らの城攻めによって落城したあと、再利用された痕跡はないというのです。後北条氏の支城とばかり考えていたので、正直ショックです。研究してみたいと思います。