小早川隆景が三原城を築く前、沼田(ぬた)川沿いの新高山城を居城としていたことは以前から知っていました。新幹線で三原駅を出て少しして沼田川の鉄橋を渡るとき、手前の山が高山城で、橋を渡ったところのトンネルの上が新高山城だということは地図で確認していて、いつか行きたいと思っていました。

先日、近くで講演があったので、三原に前泊して向かったのですが、2日前の広島地方の大雪の影響で雪が残っていて、ふつうの革靴で行ったものですから滑りそうになり、途中であきらめました。

『日本城郭大系』の新高山城の項に、新高山城の城門が三原市内に移築されていると書かれていたので本町の宗光寺に向かいました。立派な山門で、いかにも城門のようにみえましたが、門の前の解説看板には、小早川時代ではなく、福島時代の門だということが書かれていて、これも残念。

 

本曲輪まで行けなかったため、時間に余裕ができたので、気を取り直し、「酔心(すいしん)」の醸造元に行きました。駅の観光案内所で地図をもらい、株式会社酔心山根本店に向かいました。居酒屋で「酔心」があれば必ずといってよいほど呑むお気に入りの酒ですので、どんなところで造られているのか興味がありました。お店の方の話ですと、はじめは酔心と書いて「よいごころ」と発音していたとのことでした。横山大観が「酔心」を1日2升呑んでいたという話を聞いていましたので、「それ本当ですか」と聞いたら「本当です」とのことでした。燗酒コンテスト2016年金賞の酒を買って帰りました。

すでに何度か報告していますが、現在、岐阜城の信長居館跡を発掘調査しています。先日、整備委員会が開かれ、発掘現場を視察してきました。

今年度は、C地区とよばれている部分を発掘していますが、ここは、麓の居館部分で最も削平地が広いところです。その虎口にあたると思われる場所から、上にあがるためのスロープ状の通路が出てきました。ただ、そこが虎口ととらえていいのか、建物に付随する入口とみるべきなのか、判断がむずかしいところです。スロープをあがってつきあたったところに巨石列があったことは抜き取り痕からわかるのですが、そこが屋内だった可能性もあり、何ともいえません。多くの人に見てもらいたいところです。

詳細については、岐阜市教育委員会が2月1日に記者発表をし、その翌日の新聞各紙に載ると思いますので、それをご覧ください。

なお、2月4日(土)に現地説明会が開かれるということです。

1月29日(日)までの会期で、江戸東京博物館において開かれている「戦国時代展」を見にいってきました。休日でしたので混雑することを予想し、開館9時30分に合わせて行ったので、スムーズに入れました。出る頃には行列でした。中も、開館直後だったにもかかわらず、刀剣のコーナーは並んでいました。

これまで、各地の博物館で見たり、武田信玄展とか上杉謙信展などの特別展の機会に見たものも多かったのですが、今回はじめて目にするものも少なくなく、見ごたえがありました。特に、武将の肖像画に関しては、これだけ集めたのははじめてではないでしょうか。

印象深かったのは「上杉家文書」です。国宝になってから「上杉家文書」を見るのははじめてでした。大学院生の頃、調査にいったときには、古文書タンスから1通ずつ取り出し、手に取って調べた経験をもっています。「この文書、さわったことがある」と昔を思い出しつつ、ガラスケースの中に展示されている文書を文字通り拝観してきました。