私はこの4月から岐阜市歴史博物館名誉館長を委嘱されましたが、その関係で、先日、岐阜市長から鵜飼開きの招待を受けました。これまで鵜飼は長良川の岸から見たことはありましたが、舟に乗って見るのははじめてでした。

はじめに鵜匠の方の説明があり、鵜をどのように訓練し、育てているかがわかり、よかったです。また、鵜飼は信長との関係もあり、特に興味深く見ることができました。

『甲陽軍鑑』によると、武田信玄の使者として秋山虎繁が岐阜を訪れた永禄11年(1568)6月、信長も一緒に舟に乗って秋山虎繁に鵜飼の接待をしています。信長の「おもてなし」として注目されます。

古くからつきあいのある日本城郭史学会盛岡支部長の方の企画で、盛岡の川口印刷工業株式会社主催による歴史講演会があり、行ってきました。

城郭ライターの萩原さちこさんが盛岡城の話をし、私が「南部にもいた女城主―清心尼とその時代―」と題する話をしてきました。

 

翌日、前からどうしても行きたかった紫波町の高水寺城を案内してもらいました。斯波氏の城で、地元の文化財調査委員の方とさきほどの城郭史学会盛岡支部長の方お二人の案内で城内隅々まで調査することができてよかったです。桜もまだ少し残っていて、思いがけずお花見もできました。

 

盛岡には好きな地酒がたくさんあって迷いましたが、今回は「あさ開」を楽しみました。

永禄6年(1563)から翌年にかけてくりひろげられた三河一向一揆のとき、中心となったのは野寺の本證寺、針崎の勝鬘寺、佐々木の上宮寺で、三河三ヵ寺とよばれています。
その一つ本證寺が2015年3月に国史跡に指定されました。ゴールデンウィークの一日、本證寺で「本證寺フェスティバル」というのが開かれ、その中で三河一向一揆についての講演を依頼され、「徳川家康と三河一向一揆」という演題で話をしてきました。
本證寺には思い出があります。大学時代、友人の一人が卒業論文に三河一向一揆をやりたいというので、仲間を誘い、4人で三河三ヵ寺を訪ねることになりました。東京から自動車に乗って、私は運転免許証を取ったばかりでしたが、時どきハンドルを握って岡崎・安城に向かいました。学生なので貧乏旅行もいいところで、三ヵ寺の内のどこか思い出せないのですが、交渉して泊めてもらうことになったのです。
今回、「本證寺フェスティバル」で私が講演をしたその本堂で泊まったような記憶があるのですが、確かではありません。
本證寺の建物は三河一向一揆のころのものではありません。ただ、空堀と土塁はよく残っています。私は寺院城郭とか城郭寺院と表現していますが、その典型が本證寺だと思っています。その本堂で三河一向一揆の話ができたことは私としてもいい思い出になりました。