永禄6年(1563)から翌年にかけてくりひろげられた三河一向一揆のとき、中心となったのは野寺の本證寺、針崎の勝鬘寺、佐々木の上宮寺で、三河三ヵ寺とよばれています。
その一つ本證寺が2015年3月に国史跡に指定されました。ゴールデンウィークの一日、本證寺で「本證寺フェスティバル」というのが開かれ、その中で三河一向一揆についての講演を依頼され、「徳川家康と三河一向一揆」という演題で話をしてきました。
本證寺には思い出があります。大学時代、友人の一人が卒業論文に三河一向一揆をやりたいというので、仲間を誘い、4人で三河三ヵ寺を訪ねることになりました。東京から自動車に乗って、私は運転免許証を取ったばかりでしたが、時どきハンドルを握って岡崎・安城に向かいました。学生なので貧乏旅行もいいところで、三ヵ寺の内のどこか思い出せないのですが、交渉して泊めてもらうことになったのです。
今回、「本證寺フェスティバル」で私が講演をしたその本堂で泊まったような記憶があるのですが、確かではありません。
本證寺の建物は三河一向一揆のころのものではありません。ただ、空堀と土塁はよく残っています。私は寺院城郭とか城郭寺院と表現していますが、その典型が本證寺だと思っています。その本堂で三河一向一揆の話ができたことは私としてもいい思い出になりました。