今川義元所持で、永禄3年(1560)5月19日の桶狭間の戦いのときも佩いていたことで知られ、「義元左文字」の名があります。以前の所有者が三好宗三(政長)だったところから、「宗三左文字」ともいわれています。

三好宗三→武田信虎→今川義元と伝わり、桶狭間の戦いで義元を討った織田信長の手に渡り、信長はその記念に、茎(なかご)に「織田尾張守信長 永禄三年五月十九日 義元討捕刻彼所持刀」と金象嵌を入れています。その後、信長→豊臣秀吉→(秀頼)→徳川家康と天下人の所持した名刀として、現在は京都の建勲神社の所持で国の重要文化財になっています。

実は、この「義元左文字」、現在のものは、義元の佩刀だったときのものより少し短くなっているのです。本来、2尺6寸(78.8㎝)だったものを、信長が磨り上げて2尺2寸1分(67㎝)にしているのです。また、江戸時代、明暦3年(1657)の明暦の大火で焼けたあと、再刀したため、刃文も消えています。

「義元が佩いていたときの元の姿を再現したい」ということで復元プロジェクトがたちあがり、春風亭昇太師匠を名誉会長に、私が名誉顧問となって、富士市在住の刀匠内田義基さんの富士宮市の工房で、その作業がはじまり、昇太師匠、それに私が槌入れ式に参列してきました。刀鍛冶の工房に入るのは初めてで、しかも、槌を持たせてもらい、玉鋼を最初に打つという滅多にない体験をさせてもらいました。来年5月の完成をめざしています(静岡新聞2月9日付朝刊に掲載されています)。