「どうする家康」改名考 | 岳紫のブログ

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「どうする家康」改名考

 来年のNHK大河ドラマ「どうする家康」にあやかって、「いちのみや図書館だより№107」「旬感観光あいち№728」「いちい信金カレンダー2023」も、徳川家康を中心とした内容と特集編集である。一宮市内にも「家康ゆかりの地」は多い。

 「いちい信金カレンダー2023」の1月の解説文冒頭に「松平元康から徳川家康へ ~ツインアーチ138にほど近い光明寺城址は、徳川家康が旧名である松平元康から改名したと伝わる場所である。」と記されている。

 しかし、「葉栗村志稿」(1917)には、家康が改名した場所は、改名を進言した光明寺住僧青井意足が岡崎へ召されて、家康に軍法を傳授した後であると記述されている。後者の方が正しいと思うが、岡崎市ではどのような見解であるか知りたいものである。

 一宮市観光協会のホームページにも、いちい信用金庫カレンダーと同じように、「光明寺城」と表示されていることに疑念を感じる。一宮市観光協会は一宮市の外郭団体で、発信力は大きいので問題であると思う。(岳紫のブログ3676)