コンバインによる稲刈りと、いにしえの稲作
昨日、名古屋へ行く途中の名鉄沿線の稲田は、全部刈り取りが終了していた。用水の供給の関係で、田植えが早い南の方から、田刈りも進められている。
11月3日の午後、自宅から眺められる稲田の刈り取りが行われた。勿論コンバインで、あっという間に刈り取りが終わり、脱穀された籾はコンバインから所有者のトラックの米袋に流し込まれた。
稲田の所有者は、コンバインによる刈り取り・脱穀を委託されての米の収穫である。
稲刈りのコンバイン
籾をコンバインから所有者の車の中の米袋に搬送
作業が終わり次の作業場所へ 右 コンバイン 左 籾を積んだトラック
岳紫が知る米の収穫作業が機械化される以前は、田圃の縁に稲架(はさ)を作り、鎌で手刈りした稲を束にして稲架に掛け、暫く干してから、脱穀機で籾と藁に分離する作業であった。
脱穀した稲藁を再び、稲架に掛けてよく乾燥させ、畳屋に売ったり、縄や藁篭の材料、裁断して肥料などに使われた。
また、藁を細かく切って田圃に撒き肥料にされた。
稲架つくり 一宮市北方町西土腐池付近 昭和51年・1976-11
稲刈り風景 一宮市北方町青塚社南東 昭和51年・1976-11
稲架用の稲束つくり 一宮市北方町泉屋郷南地内 昭和51年・1976-11
稲架掛け中 一宮市北方町新屋敷南 昭和51年・1976-11
稲田と稲架風景 一宮市北方町高徳寺北西 昭和51年・1976-11
足踏脱穀機 一宮市千秋町地内 昭和52年ごろ・1977
藁の裁断作業 一宮市北方町中島地内 昭和49年1月・31日・1974
きょう11月5日午前10時から一宮市宮地の素戔嗚尊社で、「湯の花祭」が開催という掲示を見たのが、午後2時すぎであった。一度湯の花神事を見たいと思っていたので、残念である。