旧満州戦災孤児たちとの帰還から76年 | 岳紫のブログ

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旧満州戦災孤児たちとの帰還から76年

 長嶋山妙興報恩禅寺(一宮市大和町妙興寺)仏殿前西に、河野宗寛老師(1901~1970)の歌碑がある。碑には「親のなき子らをともなひ荒海を渡り帰らんこの荒海を 長島山主 大渕窟」とあり、昭和59年(1984)3月吉日有志により建立された。

 宗寛老師は、昭和17年(1942)旧満州国新京妙心寺別院道場へ布教総監・師家として赴任。昭和20年(1945)の終戦とともに混乱したなか、戦災孤児たちの救済活動に当られた。本堂を収容施設慈眼堂として戦災孤児たちを収容し,旧満州で探し求めた保母さん(保育士)とともに孤児たちの世話に尽力された。

 76年前(昭和21年・1946)の8月24日、宗寛老師は戦災孤児たち300余名を連れて、旧満州から日本へ無事に上陸帰還された。

 昭和25年(1950)に大乗寺(愛媛県)から、大正時代に修行参禅された妙興報恩禅寺に転住され、寺の発展と雲水の教育に尽力された。宗寛老師の歌集「慈眼堂歌日記」がある。

 岳紫が老師にお目にかかったのは、最晩年である。縁あって墨蹟をいただき、早速表装して家宝としている。(岳紫のブログ3564)