彦田公園の生垣ピラカンサ | 岳紫のブログ

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彦田公園の生垣ピラカンサ

今日は令和2年度の最終日、会社・役所など人事異動が大きい所では、職場が落ち着かない状態であろう。

暖かい日が続き満開のサクラも早く散ってしまって、4月になって葉桜(初夏の季語)の「桜まつり」ではとなる。

 

彦田公園(一宮市花池4)の生垣にピラカンサが植樹され、花の時期・果実の時期など年中美しい生垣であった。

ピラカンサは明治時代に導入され、常緑低木で果実が美しくよく育ち、幾種類もあるようである。

 JR鉄道高架側道緑地帯とともに、美しい生垣であったピラカンサであるが、現在ではピラカンサはほとんど無くなってしまい、当時の面影はなく、ところどころにある程度で、パイプ柵と他の種類の樹木が不ぞろいで残っている。

 ピラカンサの生垣が無くなったのは、道路から生垣の少しの隙間から公園内へ入る人の影響か、樹の寿命なのか、気候的なものがあったのか、病虫害かと想像をするが、4つの原因が重なってさびれていったのであろう。

はじめの内は、公園管理者がパイプ管の柵を設置していたが、イタチごっこで全体がさびれていく方が早かったようだ。

 このピラカンサについての思い出は、山下病院(一宮市中町)院長であった服部敏良先生(1906~1992)がある。自宅を出て、彦田公園付近から妙興報恩禅寺境内を散歩のコースにされていたようで、JR鉄道高架側道路沿いに整然と剪定されている生垣である最盛期のピラカンサを褒めていられたことである。(岳紫のブログ2775)