俳句誌「白絣」3冊(その1)
文化の日であるが、今年は新型コロナの関係で、芸術文化行事も自粛的であり、PRも少なく感じる。
手元に久保武先生(一宮市今伊勢町本神戸)主宰の俳句誌「白絣」11月号・12月号・1月号がある。11月号は今年のもので、1日のブログで紹介済みである。12月号は1998年、1月号は2005年発行である。
2020年11月号の表紙装丁は主宰久保武先生の画であり、1998年12月号の表紙の装丁は二科会会員堀尾一郎先生の画、2005年の表紙は久保先生撮影の写真で装丁されている。時代とともに変遷している。編集内容はほぼ同じ形式で来ている。
主宰 久保武先生近詠
1998年12月号
2005年1月号
12月号(1998)と1月号(2005)の主宰久保武先生の近詠を読み、浅学菲才の岳紫には難解であるが、僭越ながら次の3句についてのみ記させていただいた。
1998年12月号
秋刀魚焼く享けし句集の開巻後
今年はサンマ漁が不作で、高級魚となり、新鮮なサンマは庶民の口に入らなくなっている。
秋黴雨俳誌百号刷り上る
白絣11月号は第365号と歴史を刻み、郷土文学として威容を誇り、貢献されている。
2005年1月号
冬雲や逝きて遺せし文字太し 武
早崎明氏81歳で逝去の句に、俳句は詠まなかったが、俳句誌「南風」で名前(主宰)をよく見ていた。あれから15年以上経っていることに驚いている。
(岳紫のブログ2628)