野口雨情の碑 | 岳紫のブログ

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野口雨情の碑

 古に渡船場として賑わいのあった起渡船場跡(一宮市起堤町)である金刀比羅社境内に、詩人野口雨情の碑が昭和41年(1966)に建立されている。碑は昭和初年ごろの「からり節」(中山晋平作曲)の一節が刻まれている。

起渡船場金比羅さまの 石の燈篭も夜はとほる  雨情  

野口雨情(1882~1945)は、茨城縣北茨城市生まれ。東京専門学校高等予科文学科〔早稲田大学〕へ入学, 坪内逍遙と知り合う。新聞記者 として北海道へ渡り石川啄木と出会う。のち自主的に詩作活動を続 け,「茨城少年」 の編集にあたりながら童謡作品を数多く発表。「船頭小唄」「七つの子」「赤い靴」「青い眼の人形」等の数多くの作品がある。

昭和2年3月には早稲田大時代に知り合った野田素峰開設の「童ケ丘 雀のお宿」(木曽川町里小牧)を訪れている。その際「広いこの世は三千世界親のない児はみなおいで雀のお宿へ来た人は雀にならなきゃ帰されぬ」を寄せている。(岳紫のブログ2615)

 

 

金刀比羅社常夜灯