長島山妙興寺寺標 | 岳紫のブログ

岳紫のブログ

ブログの説明を入力します。

長島山妙興寺寺標

妙心寺派長島山妙興寺(一宮市大和町妙興寺)は、県道一宮西中野線に面して、北へ深く森の中に京都五山に匹敵する伽藍配置がされている。

その入口左生垣の中に,立派な寺標「長島山妙興寺」がある。昭和32年(1957)4月に、河野宗寛老師(1901~1970)が建立されたものである。揮毫は書家大宮雲渓先生(1896~1979)である。

博物館の学芸員から、寺標のことを言われたので、どう変わったのかと見に行った。最周りの樹木が大きくなりすぎて、正面から寺標全体が見えなかったからである。

しかし、最近生垣を剪定されているが、未だ寺標全体が判るようにならず、横から斜めに全体が見られるようになっているだけである。

正面から全体が見られるように、生垣を剪定できないだろうか。(岳紫のブログ2576)

 

 

 

 

お二人のプロフィル

老師 河野宗寛 こうのそうかん

  大分県出身、8歳のとき万寿寺へ、足利紫山老師について得度。大正4年妙興禅寺松岡寛慶老師、以降伊深正眼寺川島昭隠老師・京都相国寺山崎大耕老師について参禅。昭和8年中国・インド・インドネシア・ジャワ等巡錫。昭和14年愛媛県吉田町大乗寺晋山僧堂開単。昭和 17年満州国新京妙心寺別院道場へ布教総監・師家として赴任。昭和20年孤児救済のため慈眼堂を開設、21年孤児 170名を連れ引揚。昭和25年妙興禅寺に転住・晋山妙興専門道場を開単、昭和27年静岡県奥山方広寺派管長に就任、昭和30年妙興禅寺専住。昭和40年中近東7ケ国日米宗教者平和使節団代表として巡錫。大正末一宮短歌会「珊瑚」に参加。「慈眼堂歌日記」「妙興寺誌」「大渕録」等を出版。高野山に歌碑(1971)建立。大渕窟と号す。

 

書家 大宮雲渓 おおみやうんけい

  一宮市開明出身、本名森次。犬山継尾山寂光院岩田大法(雲岳)に師事。大正10年内務省につとめる傍ら、書を蘆野楠山・近藤雪竹・葛城学蒼、漢詩を仁賀香城に学ぶ。国会議員の名札を書く。昭和21年退官して帰郷。清心吟社、佩蘭吟社に属し、漢詩を服部擔風・富長蝶如に師事して漢作詩とともに書の研究に傾注。篆書の大家として名を成す。談書会を主宰し、門人も多い。東方書道会審査員、東海書道芸術院顧問、中日書道会顧問に推される。昭和44年勲五等双光旭日章を受章。中島郡今伊勢町長、尾西市文化協会会長、尾西市文化財保護審議会委員を歴任。「丙甲盧詩抄」(1972)の著がある。