ふるさとの文化人 森傅吉翁と「蒼原」
郷土の短歌誌「蒼原」9月号の編集後記に、次号から題字が改められるということが記されている。
「蒼原」(真清短歌会)は、昭和20年(1945)「ほむら」で創刊され、8月15日の終戦を機に、第7号から尾張平野を意味する「蒼原」に改題され、通算第480号と一宮市文学界の金字塔である。
「蒼原」の題字は昭和43年(1968)3月号(第171号)から現在の題字で、揮毫されたのは一宮市の誇れる文化人森傳吉翁(1891~1971)である。
森傅吉翁は、大阪の寺村富栄について漢学と刀剣学を学ぶ。大正5年(1916)中央刀剣会名古屋支部評議員、昭和23年(1948)国刀剣審査委員、昭和32年(1957)一宮刀剣会を創立されて会長、昭和42年(1967)文部省文化財保護委員会専門委員に就任。昭和25年(1950)一宮市文化財専門委員会(保護審議会)会長として長年、文化財保護に尽力された。
昭和16年(1941)一宮文化協会会長に就任、昭和26年(1951)茶道の流派をまとめて桃丘会会長、昭和27年(1952)一宮謡曲同好会を設立されて会長、そして真清短歌会の第2代会長に就任された。
昭和37年(1962)一宮市文化協会(のち文化団体協議会に改称)が発足し、会長として一宮市の文化振興に尽力された。
竹石と号し、誰からも「伝さま、伝さま」と親しく呼ばれた。一宮市本町4丁目に茶室・邸宅があって、珍しい草木のある庭に傅吉翁銅像があったが,残念ながら今は何も無い。
いつしかと庭の木草に寄る心こもれる風の音を聞き居り 竹石