漢詩人 森春濤先生生誕200年(その2) | 岳紫のブログ

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漢詩人 森春濤先生生誕200年(その2)

 森春濤先生(18191889)は、一宮市教育研究会発行の「一宮郷土読本」(1956)の「郷土の文芸」や「のびゆく一宮」(1970の「文化につくした人々」、一宮市教育委員会発行の「中学校社会科副読本 のびゆく一宮」(2007)の「寺小屋と有隣舎」に写真入りで大きく取り上げられ、それぞれ付表の一宮市年表に生誕が登載されている偉人である。

森春濤先生は、1819年(文政2年)に一宮村下馬町(一宮市本町4)で生まれる。本名魯直。11歳のとき岐阜の中川眼科医に医術修業。丹羽有隣舎の益斎に学び、同門の大沼沈山らと研鑽した。のち京都の梁川星巌の門に入って名声をあげ、38歳のとき医者を辞め、44歳の春、名古屋に桑三吟社を開き、明倫堂教授にもなった。

  東京に移り茉莉吟社をおこし、雑誌「新文詩」を発行、多くの門人を育てた。春濤の子槐南とともに漢詩文学の第一人者となった。 明治45年刊行の「春濤詩鈔」には2370余首収められている。1889年(明治22年)東京麹町森槐南の家で逝去。

(岳紫のブログ2317

 

 「のびゆく一宮」より

 

森春濤屋敷跡