1回目の一宮大空襲 | 岳紫のブログ

岳紫のブログ

ブログの説明を入力します。

1回目の一宮大空襲

 

72年前の昭和20年(1945)7月12日の深夜から13日の未明に、一宮市の西部から北部にかけて、米軍機による大規模な焼夷弾爆撃があり、大きな被害を被った。そして7月28日深夜から29日未明の2回目の爆撃で、市街地の8割が焼失し、多数の犠牲者も出た。

一宮市大和町馬引の故浅井與兵衛氏(元日光村村長)の日記に、「7月12日一宮・今伊勢・光明寺・苅安賀が被災し、馬引の田畑に百四十六の焼夷弾があり、民家2軒も被弾した」(浅井武編)とある。

今伊勢町本神戸の蓮西寺では、寺が焼失した「7月12日」に毎年「平和を祈る鐘」つきと「戦災を語る会」が開催されている。今日はどうされただろう。

戦争・戦災体験のない世代が多くなって、危機感を持たなくなることが恐ろしいと思う。

 

旧一宮市戦災焼土図