イタセンパラ | 岳紫のブログ

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 一宮市尾西民俗資料館で、天然記念物イタセンパラの実物見学と生態などの説明をしたコーナー展が開催されている。

 木曽川の水が豊富できれいであった昭和20~30年代、夏になると毎日、近くの木曽川で過ごした。川岸でフナを平にしたような美しい魚をよく見かけた。それがイタセンパラなのか単なるセンパラであったなのかはわからない。

昭和49年(1974)イタセンパラが国の天然記念物に指定されたことで、木曽川水系に生息する貴重な淡水魚であることを知ったのである。

 一宮市北方町では大日地内にイタセンパラの自然繁殖池(河跡湖)があったが、昭和51年(1976)1月に木曽川治水工事の一環として建設省木曾川工事事務所が、その池を埋め立てることになった。

昭和30年代初めから保護と観察活動に取り組んでおられた佐藤武先生(1926年生・犬山高校長をへて愛知みずほ短大教授、津島市),昭和43年(1968)以降佐藤先生の都合で引き継いで活躍された浅野竣一先生(1937年生・木曽川高校教諭・岐阜市加納鉄砲町)などの活躍で、大日・本郷地内に半人工池が造成され、当初は順調であったが、護岸工事の影響から水位が低下し、湧水の期待もできない状況になって、ここでは繁殖出来なくなったとのことである。

このことがあって、下流の一宮市(当時尾西市)玉野の小川祝治さん(1936生)が繁殖に協力し、大日河跡湖からの淡水二枚貝などを小川さんに提供され、昭和52年(1977)8月第一回の放流として約1500尾のイタセンパラの稚魚を木曽川に放流された。

 その後、尾西市東加賀野井木曽川左岸に造られた繁殖池(ワンド)に放流して保護活動を続けられた。

昭和53年(1978)11月には、浅野先生が北方町地内木曽川べりの池で、イタセンパラの生息を発見されている。

しかし、木曽川流域の流れの変化などで、絶滅危惧状態になって平成6年(1994)まで確認できていなかったが、平成20年(2008)に生息が確認された。

 その頃イタセンパラの密漁事件があり、平成22年(2010)3月9日環境省・国土交通省関係機関、一宮市・羽島市、関係団体などにより「木曽川イタセンパラ保護協議会」が設置され、保護のための事業活動が行われるようになった。

 今回の展示は、子供たちにイタセンパラが貴重な魚であることを知ってもらい、市民の保護意識に繋げたい趣旨である。


尾西歴史民俗資料館にて