最近世間を騒がせている宮迫氏やひろゆき氏等のSNS関連の記事について一言。

(生活保護については、一年間くらい生活保護のワーカーをやらせてみればいいんですよ。そうすれば実態がわかりますから。)

 誰も他人の考えていることなんてわからないのですから、考えるだけなら何を考えてもいいんですよ。考えるだけならね。どんなに鬼畜なことだって、考えるだけならいいんですよ。

 でもそれを口にした時点で、その言葉自体がいろんな意味合いを持ってひとり歩きしてしまうんですよ。

 職場でも、学校でもそんな体験したことはありませんか?確かにその言葉は言ったけど、そんなつもりで言ったわけじゃなかったってこと。

 普通は自分の身の回りだけなので、直接、言った内容を説明すれば結構収まりますが、それでもしばらくたって忘れた頃に、全然別方向から言われたりしてびっくりすることもあります。

 SNS等で発信してなくても、そういうことが起きるのですから、SNSを利用して、広範囲にむけて、言葉なり、文章なりで公表する場合は、それに伴ってどういうことが起きるかぐらいは、想定していないと、たとえプライベートで言ったつもりでも、今の時代はダメなんですよね。

 それに、「ディベート」って何なんでしょうか?異なる立場で議論する手法ということですが、実際の問題については、議論はしても結論って出ないですよね?

 ということは、いろいろ議論を尽くした後で、「そういう考え方もあるよね」ってお互いを認め合わないとダメだと思うんですよね。

 でも、今の論争を見ていると、相手方が負けを認めるまで徹底的に攻撃するか、論点をすり替えて自分を上位に見せようとするかに力を尽くしているように思えます。

 これって…。

 昨年も書いたと思うのですが、こんなことをしている方たちにはぜひ、中島みゆき氏の「Nobody Is Right」を聞いて、その歌詞を考えていただきたいと思います。

 (著作権の関係で)詳しく書くことが出来ませんが、論点ついて考えて、より良い方向に変えていこうというのではなく、「正しさの勝利が気分いいんじゃないのか」ではありませんか?

 それって…、発展性が無いですよね。

 まあ、宮迫氏の場合は、彼自身の節操の無さがすべての原因だとは思いますが…。でも「節操の無い奴」ということで受け入れていくって方法もあると思うんですよね。そうしないで、相方を貶めるような発言をして擁護しようとするなんて…。方向が違いませんか?

 どうしても自分にとって受け入れられない人ならば、無視すればいいんですよ。無視しないで自分の意見に従わせようとするなんて…「何様」何だろうか?

 私みたいなおばさんには、わからないし、受け入れられない世界みたいですね。

 最近のネットニュースを見ていて、ちょっと感じてしまったので、つぶやいてみました。