両親の介護認定用の診断書をやっと書いてもらえたのが、6月に入ってからでした。

 介護認定のための両親の通院に付き添っていた間、自分自身も人間ドックの結果から乳がんの疑いが出たため、精密検査に行ったり、紹介状を書いてもらって、がん研有明病院に行って、検査を重ねた結果ステージ0の乳がん(本当に初期)と言われたけれども、乳腺全体に広がっているから、左胸全摘出の手術をすることを決めたりと、心身ともに大変でした。

 でも連絡を絶っていたので、長兄・次兄ともに知らん顔でした。

 まあ何も教えていなかったからね。でも私のことはともかく、両親のことは気にならなかったんですかねえ…。信用も信頼も出来ない人たちです。

 7月に地域包括支援センターへ行き、両親の介護認定申請をして、結果が出たのは7月の末。8月下旬に私の入院手術が決まっていたので、とにかく急いで介護支援事業所と契約して、私の留守の間の両親の生活が何とか成り立つようにしました。

 そこまで準備してから、手紙で兄たちに両親と私の状況を説明し、今後は両親の介護は出来ないので、と兄たちに丸投げし、その代わりそちらが決めたことに文句は言わないと伝えました。

 丸投げしたとはいえ、退院後は自宅に戻ったので、少なからず私が関わらなくてはいけないし、母の認知症は進行していくにもかかわらず、同居している父親は耳が遠いことと自分も軽い認知症を患っていることもあり、何の役にも立ちませんでした。

 毎日が戦争のようで、この間ゆっくり休めた記憶はありません。

 そんなこんなで2年が過ぎた頃にやっと、申し込んでいた特別養護老人ホームに空きが出たようで、入所することが出来ました。

 母はその老人ホームで6年以上暮らしていましたが、前回書いたような状況になり、2023年6月に亡くなったわけです。

 母が入所した翌年に父が亡くなっているのですが、母はそのことも知らずに生きていました。父は夜中に母を探して徘徊してしまうくらい母のことを気にかけていたというのに…。

 人の関わりは難しいものですね。

 父が亡くなった後、自宅の私が半分所有している建物部分は父の持ち分が母に相続され、私と半々で所有することになりました。また父が全部持っていた自宅の土地の「借地権」は母と私で半分ずつ相続することになりました。その他の父の財産を兄2人が相続し、特にもめることはありませんでした。

 

 思いもかけず長引いてしまったので、またまた次回に続きます。