障害者と言っても、重度から軽度までその幅は広い。福祉をやってる人間ですらも、軽度知的と発達障がいを見抜くことができていないと思う。知的なら重度か中度、発達なら容姿が良くて助けを求めるのが上手い方がサービスが受けやすいのかも。。知的でも容姿が良くてYouTuberされてる方もいて、どうしてこんなにも焦るんだろう。
私は意地が悪いんだろうな、、皆苦労や苦しみ、悲しみの重さはそれぞれに違うのに。。わかっていても苦しくなる。
『貴女は英語が話せるから知的障がいではないよ。』いや、あたしこれだって苦労して習得しましたから!ある有名な英語の先生、どんな人でも話せるようになる方法は全て軽度知的の私には合わなかった。(もちろん合うかたもいらっしゃると思います。でも、私が試してきたレッスンは健常者向けのものばかりでした。)
金もなかったことだし、英語を習うだなんて、、でもちょっぴり興味があり、無料期間で英語を習ってみたが、2日で先生や教室の人間みんな嫌になり辞め続けてきた。
英語が話せると言っても私の英語は健常者で帰国子女には勝ち目はない。。
何かができるから障害者てはない、は違うと思う。
ま、彼らにしてみれば、誉めたつもりなのかもしれないけどさ。普通に近づけさせて(無理なんだけどね💢)大人しく仕事も選ばず黙々と働いてくれるのが理想の障害者像なんでしょうね、、
誉めてもらえるのは少しばかりうれしい、でも正直、あたしにそんなに福祉サービスを受けて欲しくないの?という気持ちにもなってしまう。。
福祉だろうが、市役所で働く方々はみなサイコパス気質があると、
何かの本で読んだことがある。私の療育手帳に携わってくれた課長も御多分にもれず無慈悲な人間であることが、これまでの彼の言動から今になってわかった。
誰も信用できない。。