ゆきえさんが帰ってきました。 | I don't know what I don't know...

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これからどう生きるか考えるブログ

今日(昨日から)ご復帰されたことを事務所の方の話を通じて知った。先々週はずっと夜遅くまでお仕事をされていて具合が悪かったそう、、ゆきえさんと出会う前は、、私はこそこそと日本各地の社労士事務所に電話して、、中には、、全国展開しているのにも関わらず、電話口ではじめはうまいこと言ってテンポ良くにこやかにしゃべっていたのに私が『軽度知的障害者』だと知るとすぐさま態度を変え、門前払いをしてくるようなクソな社労士も何人かいたため、(全国の優しくて真面目な社労士の皆さんごめんなさい。💦🙇世の中の社労士さんという社労士さん全員がそんな方ばかりではないのはわかってます。)一時はやっぱり社労士なんて依頼者を助けるふりをして本当は、、みんな自分の利益だけのためにしか動かないずる賢い人間ばかりなんだというイメージが私の中で勝手に植え付けられてしまっていたが、、7月の末頃、(やっぱりどこかで誰かに自分の現状を知ってほしくて、、寂しくて、)夕方はじめて恐る恐る福岡の社労士事務所に電話してみたら、、主治医以上に今、私が置かれている状況、仕事を辞めざるを得なくなった経緯、『軽度知的障害者』として生きていかねばならない上での悩みや恐怖(他者から軽んじられてしまうこと。。など、、)を話し、私は自分の忌まわしい過去と現在を思い出しながら震えていた。こんな私の話しをゆきえさんは電話口で優しく聞いてくださり、(気づけば私たちは二時間ほど電話で話していた。。)鼻を啜りながら、(一緒になって泣いてくれていたのか、、)『きつかったよね、辛いのに健常者に囲まれて配慮もほとんどない中、たった1人で頑張ってきたんだよね。。』『月絵ちゃんっていってたね。知能に障がいを抱えていながらも留学もせずに英語を習得したんだよね。きっと死に物狂いで頑張ったんだと思う。😭💓すごいことよ。月絵ちゃんが憧れる普通と呼ばれる人たちだって外国語を勉強して日常会話を支障なく話せるようになるのは大変なことなんだよ。今は、身体が思うように動かせなくて辛いかもしれないけど、年金を受給できるようになれば、いつだってワクチン後遺症や麻痺の治療も安心して受けることができるようになるからさ、ね、どうか希望は捨てないで。私が貴女をサポートするからね。😊』そして、『何か困ったことがあればまた電話しても良いからね。電話が怖ければメールでも良いよ。😊もし嫌でなければメールアドレスを教えてもらえるかな?貴女のスマホにうちの事務所のメールアドレスを送っておきますね。😊私の前ではいくらでも愚痴ってね。😊辛いことも苦しいことも一緒に解決していきましょう。』

優しい女性。。早速メールアドレスを伝え、話し終わって一時間後にメールボックスを開いたら、『先ほどはありがとうございました。😊もし、私が貴女を傷つけるようなことを言ってしまっていたら、、ごめんなさいね。😢私は本当に貴女の力になりたいので変なことを言ってしまっていたら遠慮なくおしえてね。』

と労いと慈悲に満ちた言葉をくれたのだ。これこそ私が欲しかった、本当なら主治医から言って欲しかった言葉たちなのだ。。気がついたらゆきえさんの優しい言葉たちに琴線が触れて私はスマホの前で大粒の涙を流して嬉し泣きしていた。私はこのときすっかり彼女が社労士さんだということを忘れていた。彼女の人間性にすっかり魅了されていたのだ。

もし、社労士さんのお力添えを頂くならば私は絶対この方を担当にして頂こう!

突発的に川に行って30代になって久しぶりの大規模な一回目の自殺企画をしたときにゆきえさんのことを思いだし、母にはじめて社労士さんの力をお借りしたいとお願いしたのだ。(後に母は了承してくれて、今では母もゆきえさんを信頼するようになった。)

いつもの悪い癖で話がずれていったが、、ゆきえさんは依頼者想いの優しい社労士さんなのだ。あたしだけでなく、誰に対してもきっと一生懸命で真摯に向き合い、お仕事されてるんだろうなと思った。頑張りすぎて倒れてしまったのかな、、(彼女は優しい上に、腕も良いので依頼者がいつも途絶えないそうだ。)

復帰されたのは嬉しいけれど、、、どうか無理をされませんように。。

(でもまたゆきえさんとお話しができる。。嬉しい。ラブ)